大判例

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京都地方裁判所 平成5年(わ)1242号 判決

主文

本件各公訴事実につき、いずれも被告人は無罪。

理由

第一  はじめに

本件公訴事実は、

「被告人は、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に所属するものであるが、同派に所属する氏名不詳者と共謀の上

第一  平成五年四月一九日午後七時三〇分ころから同二五日午前三時三〇分ころまでの間、京都市左京区大原来迎院町五四〇番地所在の宗教法人三千院境内の同法人所有の往生極楽院(木造板葺平屋建、床面積八二・八平方メートル)において、樹脂製容器二個にガソリン及び灯油の混合油、同容器一個に灯油を入れ、これに電池を電源としてスイッチを入れれば、時限の到来により点火用ヒーターに通電して発熱させるなどの方法で着火炎上させる発火装置を施した火炎びん三個をスイッチを入れて設置し、同年四月二五日午前三時三七分ころ、同装置を発火させて火を放ち、同建物の天井及び板壁の一部(約二・五平方メートル)を焼燬し、もって火炎びんを使用するとともに、現に人の住居に使用せず、かつ、人の現在しない同建物の一部を焼燬した

第二  平成五年四月一九日午後七時三〇分ころから同二五日午前三時三〇分ころまでの間、同市山科区厨子奥花鳥町二八番地所在の宗教法人青蓮院大日堂境内の同法人所有の資材倉庫(木造トタン葺平屋建、床面積一九・二三平方メートル)において、同所に積み上げられていた角材の下に樹脂製容器にガソリン及び灯油の混合油を入れ、これに電池を電源としてスイッチを入れれば、時限の到来により点火用ヒーターに通電して発熱させるなどの方法で着火炎上させる発火装置を施した火炎びん一個をスイッチを入れて設置し、同建物を焼燬しようとしたが、時限の到来により点火用ヒーターに通電したものの、前記樹脂製容器が容解せずに着火炎上しなかったため、その目的を遂げなかった

ものである。」というものである。

検察官は、第一回公判で、被告人は、本件各犯行の実行共同正犯であり、その内容は、被告人が氏名不詳者と共謀の上時限式発火物を設置したということである旨、第二回公判で、被告人の実行行為には時限式発火物をスイッチを入れて設置した行為以外にはない旨それぞれ釈明した。

当裁判所は、審理の結果、被告人は無罪との結論に達したが、その理由は以下に述べるとおりである。

なお、説明の便宜上以下の判文においては、事件名・関係者名・関係場所等について多くの略称を用いたり、証拠の引用にあたっても簡易な略語を使用し、年月日等についても簡略な表現を用いる場合もあるが、その主要なものは次のとおりである。

(事件名)

三千院事件……公訴事実第一記載の平成五年四月二五日午前三時三〇分過ぎ発生した三千院境内の往生極楽院における火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、非現住建造物放火事件

大日堂事件……公訴事実第二記載の青蓮院大日堂境内の資材倉庫における火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、非現住建造物放火未遂事件

仁和寺事件……平成五年四月二五日午前三時二〇分ころ、京都市右京区御室大内所在の仁和寺における金堂、御影堂及び霊明殿を一部焼燬等した非現住建造物等放火等事件

大津事件……滋賀アジトで被告人が公務執行妨害事件で現行犯人として逮捕され、起訴された刑事被告事件、詳細は後述

(関係者名)

窪内……京都府警警備三課の窪内國男警視

(本件捜査主任官)

榊……警備三課の榊広光警部補

(本件警察犬による臭気選別の実施責任者)

竹本……本件臭気選別に当たったライトマン警察犬訓練所長で犬の訓練士(指導手)の竹本昌生

B……三千院の僧侶のB

C……三千院の住込みの研修生C

D…‥大日堂事件で時限発火物の発見に関与した大工のD(同人の息子Eについては、Eで特定する。)

尾崎……京都府警技術吏員尾崎吉明

小沼……警察庁技官小沼弘義

上田……上記京都府警科捜研技術吏員上田道夫

大川……京都府警警備三課の大川雅康巡査部長

夛名賀……京都府下鴨警察署の夛名賀徹巡査部長

澤森……京都府警警備三課の澤森守生警部補

佐達……京都府警刑事部鑑識課の佐達修三警部補

岩崎……京都府下鴨警察署の岩崎哲嗣司法巡査

中川……京都府警警備三課の中川春夫警部補

F子、G

H子、I

(関係場所)

三千院、青蓮院大日堂及び仁和寺については前示の各寺院。ただし、三千院境内往生極楽院を単に三千院、青蓮院大日堂境内の資材倉庫を単に大日堂という場合もある。

滋賀アジト……滋賀県甲賀郡《番地略》甲野コーポクライノ[2]五〇二号室

前進社……大阪市淀川区《番地略》前進社関西支社

ライトマン警察犬訓練所……京都市山科区大宅岩屋殿二番地ライトマン京都警察犬訓練所

(その他の略語)

弁護人……全弁護人を指す。なお、主張を掲げる際、ほとんど被告人及び弁護人の主張は共通あるいは共同のものなので、煩を避けるため弁護人という場合もある。必要があれば明示する。

京都府警……すでに一部同略語を使用しているが、京都府警察本部、なお、所轄の警察署については京都府を省略し、署名だけを掲げる。

滋賀県警……滋賀県警察本部

中核派……革命的共産主義者同盟全国委員会

北西部の時限式発火物……三千院往生極楽院の北西部鴨居上に仕掛けられた上下二個の時限式発火物

北東部の時限式発火物……三千院往生極楽院の北東部鴨居上に仕掛けられた時限式発火物

角材下の時限式発火物……大日堂資材倉庫角材下の床上から発見された時限式発火物

目隠し棒……角材下の発火物の目隠し用に置かれたと思われる角材二本

押し込み棒……角材下の発火物を押し込むのに利用した旨の大日堂の資材倉庫内にあった角材

マルコ及びペッツオ……本件臭気選別を行った嘱託警察犬ではマルコはマルコ・フォム・ライトマン、ペッツオはペッツオ・フォム・ライトマン

(なお、嘱託警察犬と直轄警察犬とを区別しないで、単に警察犬という場合もある。)

(証拠引用に関する略語)

証拠の引用については、場合により次の略語及び用語例に従う。

・ 書証の謄本・抄本ないし写しは、煩を避けるため、本判決では特にその原本、謄本等の別は問題にならないので、これらの表示は省略する。

・ 書証の一部のみを取り調べた場合、記録にはその部分の抄本が編綴されているので、あえて取り調べた部分を特定しないでその書証全体を表示する。もちろん証拠は取り調べた部分に限る。

・ 証言、供述については、更新前、更新後の証言、供述について、特に区別の必要がないかぎり、単に証言、供述又は公判証言、公判供述と記載する。

検察官に対する供述調書については、検察官調書と記載する。

・ 司法警察員又は司法巡査に対する供述調書については、いずれも警察官調書と記載する。

・ 検察官及び弁護人請求証拠については、その請求番号を利用してそれぞれ検〇、弁〇と記載して特定する。

・ 書証の作成者は特に必要でないかぎり省略する。ただし、できるかぎり検〇、弁〇などを併記する。

・ 証拠物の押収番号は平成六年押第一七七号の符号一ないし五四五であり、その表示は符号のみをもってする。

(年月日)

・ 年月日のうち、年を表示していないものは、平成五年のそれぞれ月日を指す。他の年の記載でも前後の記載から年が明らかである場合は年の記載を省略する場合がある。

第二  本件犯行をめぐる事実関係

窪内、D、C、尾崎及び小沼の各証言、東伏見慈晃の警察官調書(検九六)、警察官各作成の捜査報告書(検一、五、二二、二三、二八、三〇、七五、七六、九三)、実況見分調書(検三、四、二六、二七、七八、八四、八六、九二、九九)及び写真撮影報告書(検二)、下鴨警察署長作成の鑑定嘱託書(検一二一、一二三、一二五)、技術吏員作成の鑑定書(検一二二、一二四、一二六)、登記官作成の登記簿謄本(検九ないし一一、九七、九八)並びにその他の関係各証拠によれば、本件犯行をめぐる事実関係は次のとおりであり、これらの事実関係については、検察官並びに被告人・弁護人の間ではほとんど争いがないところである。

一  事件の発生、その犯行態様、時限式発火物及びその残滓、その他の遺留品の発見等

1  三千院事件

(1) 事件の内容

平成五年四月二五日午前三時三〇分ころ、京都市左京区大原来迎院町五四〇番地所在の宗教法人三千院境内の同法人所有の重要文化財往生極楽院(木造板葺平屋建、床面積八二・八平方メートル)において放火事件が発生した。その内容は、往生極楽院内の壁面の北西部鴨居上に掛けられた扁額の裏に上下折り重なるようにして設置された二個の時限式発火物及び同壁面の北東部鴨居上に掛けられた扁額の裏に設置された一個の時限式発火物が発火し、同時に火災報知機が作動して、直ちに三千院の職員らが一一九番通報すると共に現場に駆けつけ、付近に備え付けられていた小型消火器(直径一二センチメートル、高さ五〇センチメートル)約五本を使って、午前三時四〇分ころ消火した。

右放火により前記三千仏が描かれた扁額二枚、往生極楽院内部の北西天井板・壁面約二・二平方メートル及び同内部の北東天井板・壁面約〇・三平方メートルが焼け焦げる被害が発生した。北西部の壁面は、亀の甲状型に焼け焦げ、その亀裂燃焼部分は、柱、天井垂木におよび、北東部の壁面も亀の甲状型に焼け焦げ、その亀裂燃焼部分は、柱、天井垂木におよび、特に、その一部には外側まで達する穴が開いていた。

(2) 遺留品の発見等

当日被害建物内から次のような時限式発火物の残滓が発見された。

まず、内部の北西角付近北側の内壁で床から二メートル一〇センチメートルの鴨居上に掛けられていた扁額の裏から箱型時限式発火物の残滓二個が上下重なるようにして発見された。一個は、長さ二五センチメートル、幅五センチメートル及び高さ八センチメートルであり、他の一個は、長さ二一センチメートル、幅四センチメートル及び高さ八センチメートルであった。

また、北東角付近東側の内壁で床から二メートル一〇センチメートルの鴨居上に掛けられていた扁額の裏から箱型時限式発火物の残滓一個が発見された。同物件は、長さ二八センチメートル、幅五センチメートル及び高さ八・五センチメートルであった。これらは、いずれも全体をフェルト用布地(以下「フェルト」という。)で包まれ、鑑定の結果、IC回路等を組み合わせた時限式発火物であることが判明した。

また、平成五年一〇月二九日捜査当局が実施した設置実験結果から、身長一六七・五センチメートルの人が床面に両足をつま先立ちになり、腕を伸ばすと、以上三個の発火物を前記往生極楽院内の残留箇所に設置することは可能であった(検二七の実況見分調書)。

2  大日堂事件

(1) 事件の内容

平成五年八月一一日午後五時一五分ころ、京都市山科区厨子奥花鳥町二八番地所在の宗教法人青蓮院大日堂境内の資材倉庫(木造トタン葺平屋建、床面積一九・二三平方メートル)内で、未発火の時限式発火物が発見された。Dらは、右大日堂境内で毎年行われている八月一六日の「大文字送り火」の観覧席の設営作業に従事し、観覧席を組み立てるため同資材倉庫内に収納されていたベニヤ板、角材等の資材を順次上から下ろして設置現場に運んでいたところ、下部の隙間から偶然時限式発火物を発見したものである。

同発火物は、長さ二五センチメートル、幅一〇センチメートル及び高さ七センチメートルの箱型で、白い厚紙ケースに入れ、更に全体を黒色包装紙で包んであった。後日、時限の到来により点火用ヒーターに通電したものの、引火物の入った樹脂製容器が溶解せずに着火炎上しなかったことが判明した。なお、ヒーターの通電により、発火部のガムテープの一部は溶解していた。

(2) 遺留品の発見等

発見現場からは、前記時限式発火物の目隠し用に置かれた木片二本(目隠し棒)も同時に発見され、捜査官はこれを翌八月一二日押収した。

捜査官は、倉庫内に資材が積み上げられた状態で、腕を伸ばすだけで発見地点に本件時限式発火物を設置することは距離的に不可能であると判断し、平成五年一〇月三日同倉庫内を検索して、入口北西角付近に多数の木切れとともに置かれていた角材一本(長さ一・〇六メートル、幅六センチメートル、厚さ二・七センチメートル、押し込み棒)を押収した。

なお、押し込み棒は、八月一一日当時、同場所で見かけられている。

3  本件各時限式発火物の構造等

いずれも時限部、発火部及び引火しやすい内容物(ガソリンと灯油の混合油、又は灯油のみ)を入れた容器(ペットボトル)で構成されている。そのうち、時限部は、単三乾電池四本を電源とし、IC回路、タイマーを組み合わせ、原振となるパルス信号を発生する水晶振動子、予定時間をセットするためのディップスイッチ等が使用されている。発火部は、アルミケースに入れられ、時限部から発火部に接続されたリード線によって伝導された電流で発熱するヒーター(ニクロム線)と、ヒーターによって溶解して高熱を発するテルミット(アルミニュウムと酸化鉄の混合粉末)から成っている。タイマーをセットすると、時限の到来により、タイマーからの信号を受けたサイリス(ごくわずかな電流で大電流を制御できる半導体素子)が電流を流し、この電流がリード線を経て発火装置に通電し、通電によリ、ヒーターによってテルミッ卜が溶解し、その溶解熱で容器を溶解させ、内容物に引火させて発火する構造である。

本件に使用された時限式発火物の発火時刻を設定するには、時限部のディップスイッチの〇から九の数値が表示された一〇本のピンのうちどれかを押し上げる必要があり、押し上げたピンの数値に単位時間である一六を乗じた数値が入力から発火までの時間を表し、この時間の経過に伴って発火する仕組みになっているところ、本件の時限式発火物はどれも八のピンが押し上げられた状態になっていた(八時間×一六=一二八時間)ことから、入力後一二八時間後に発火するようセットされていた。

なお、公訴事実の各犯行日時は、三千院事件の発生(発火)が平成五年四月二五日午前三時三〇分ころであるから、一二八時間逆上った同月一九日午後七時三〇分ころに、各時限式発火物(大日堂事件の物を含めて合計四個)のディップスイッチがほぼ同時に押し上げられたものと考え、その時刻から右発火時間までを発火物設置可能時間と見なして特定したものと推察できる。

二  京都市内における同種事件の発生と中核派機関紙の掲載記事等

1  京都市内における同種ゲリラ事件の発生

四月二四日夜から翌二五日未明にかけて京都市内において、本件各犯行を含めて合計六件の時限式発火物又は時限式爆発物を使用した放火等のゲリラ事件が発生している。その概要は次のとおりである。

<1> 四月二四日午後一〇時ころ、京都市上京区所在の旧華族関係の宿泊施設である霞会館京都支所において、時限式爆発物が爆発して、一階管理人室の窓ガラスを破壊

<2> 同時刻ころ、同市右京区所在の京都府太秦警察署梅津派出所において、時限式爆発物が爆発して、同派出所裏口のアルミ製ドアが破壊

<3> 四月二五日午前三時二〇分ころ、同市右京区御室所在の仁和寺の国宝の金堂、重要文化財の御影堂及び霊明殿において、それぞれ時限式発火物が発火して、右金堂及び御影堂の各床下の一部を焼燬し、霊明殿外側の閼迦棚を燻焼(仁和寺事件)

<4> 同日午前三時三〇分ころ、本件三千院事件の発生

<5> 同日午前三時四五分ころ、同市伏見区所在の田中神社において、時限式発火物が発火して、木造平屋建の拝殿約一〇〇平方メートルが全焼

<6> 同時刻ころ、同市東山区所在の青蓮院において、時限式発火物が発火して、木造平屋建の茶室の好文亭約一〇七平方メートルが全焼

<7> その後、同年八月一一日に至って本件大日堂事件の発覚(関係証拠を総合すると、時限式発火物が計画どおり作動しておれば、おそらく右各事件同様四月二四、五日ころ被害発生と推察される。)

2  中核派の声明等

中核派は、平成五年四月三〇日東京都内の各報道機関に対し、一九九三年四月二四・二五日「革命軍軍報」の名のもとに声明文を郵送し、さらに、同年五月一七日付けの機関紙「前進」一六二五号において、前記ゲリラ事件の報道を行った。その内容は、「天皇訪沖粉砕六か所一斉ゲリラを敢行」「京都府警派出所・霞会館を爆破攻撃青蓮院・仁和寺・三千院・田中神社を火炎攻撃」(いずれも「革命軍軍報」の見出し)、あるいは、「京都の天皇関連施設を攻撃」「霞会館など爆破、青蓮院など炎上」「訪沖のアキヒトを痛撃」(前記「前進」の記事の見出し)などと題し、「わが革命軍は、天皇沖縄訪問の大攻撃に対し、四月二四日午後一〇時、京都府警・梅津派出所(中略)、旧華族施設・霞会館京都支所(中略)を同時爆破し、続いて二五日午前三時三〇分、青蓮院の茶室・好文亭、宝物殿・吉水蔵(中略)、仁和寺の金堂、御影堂、霊明殿(中略)、三千院の往生極楽院(中略)、田中神社の拝殿(中略)を同時火炎攻撃する六か所一斉ゲリラ戦を炸裂させた。この激烈なゲリラ戦は日帝権力を震撼させ、訪沖中の天皇の度肝を抜いた。(中略)この一斉ゲリラ戦は、日帝が天皇訪沖をもってカンボジア・朝鮮・アジア侵略のための沖縄の軍事拠点化の攻撃、沖縄人民とその反戦反軍反基地闘争の圧殺を決定的に強め、その先頭に天皇と天皇制が立って侵略翼賛の国民総動員の攻撃を一挙にエスカレートさせてきたことに対して、これを真向から粉砕するたたかいである。同時に後藤田を最高責任者とするデッチあげ爆取弾圧、革共同・革命軍壊滅攻撃の激化に対する断固たる報復の戦闘である。(中略)今回わが革命軍が爆破し、あるいは炎上させた天皇・天皇家の施設、寺、神社こそ天皇制支配とアジア侵略の象徴そのものであり、徹底的に破壊されて当然のものなのだ。」などというものである。

第三  被告人の略歴及び被告人逮捕に至る経緯

被告人の公判供述、前掲窪内及び大川各証言、被告人の前科調書、被告人に対する各判決書謄本、その他関係各証拠並びに被告人の本件身柄関係記録等によると、次の事実が認められる。

一  被告人の略歴・前科等

被告人は、昭和三七年大阪市内の高校卒業後、同年四月乙山大学医学部に入学したが、同四九年九月中退した。大学入学後中核派に所属して活動し、本件逮捕当時は、関西における中核派内の相当な幹部であり、同組織内の弾圧対策委員会の最高責任者であり、非公然面で革命軍を指揮するなど最高幹部又はそれに近い地位にあった。

前科は、昭和四五年六月公安条例違反罪で罰金刑に、同六一年四月公務執行妨害罪により懲役一年・二年間執行猶予に、昭和六二年一〇月公務執行妨害・同幇助・凶器準備集合・火薬類取締法違反罪により懲役二年六月、平成四年一二月公務執行妨害罪により懲役八月に各処せられている。

なお、最後の公務員執行妨害罪の審理経過は次のとおりである。被告人は、平成三年九月一三日京都府警と滋賀県警が合同で(ただし、京都府警の捜索差押の被疑事実は爆発物取締罰則違反、滋賀県警の捜索差押の被疑事実は非現住建造物等放火・建造物等以外放火)滋賀県甲賀郡《番地略》甲野コーポクライノ[2]五〇二号室の中核派(被告人のということもできる。)の非公然アジト(滋賀アジト)の捜索差押を行った際、捜索に当たっていた滋賀県警の警察官から公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕され、身柄拘束のまま同三年一〇月三日大津地裁に起訴された。被告人は、平成四年一二月一一日大津地裁で懲役八月・未決勾留日数二二五日算入の判決を受け、同月二二日保釈が許可されて釈放され、同月二五日大阪高裁に控訴を申し立て、平成六年九月一日控訴が棄却されて、保釈が失効して再び勾留され、同月一一日勾留期間満了で釈放された。被告人は、同月一五日最高裁に上告し、平成八年六月一八日上告が棄却されて、判決は同月二五日確定したが、同判決では未決勾留日数の関係で刑の執行はなかった(大津事件)。

二  被告人逮捕の経緯

京都府警は、三千院事件後直ちに「四・二四、二五同時多発ゲリラ事件捜査本部」を設置し、前記各ゲリラ事件の犯行現場の遺留品の捜索及び実況見分を実施し、当日(平成五年四月二五日)往生極楽院内北西角、北東角及び仁和寺霊明殿からフェルトで包まれた時限式発火物合計四個を押収するとともに、往生極楽院の東側土砂面の上から足跡二個を採取し、八月一一日大日堂資材倉庫付近で未発火の時限式発火物一個を押収するなどした。

さらに、捜査本部において各現場周辺の聞き込み捜査等を実施した結果、同年四月二六日、七日ころ、事件前日の同月二四日午後五時過ぎ、三千院の拝観者の中に不審なアベックを目撃したとの情報を得た。警察官が目撃者の一人を事情聴取し、更に引き続き専門の鑑識職員が似顔絵を作成した結果、捜査本部は、同アベックの男性が被告人に似ているとの印象を得た。

本件は中核派の犯行と推認できるところ、捜査本部は、被告人が中核派の幹部であり、大津事件で現行犯人として逮捕され、裁判係属中であるが、本件犯行当時は保釈中であったこと、右逮捕現場のアジトで押収した「カステラ仕様図」と題するメモに記載された時限式発火物が、本件三千院事件及び仁和寺事件で押収された同発火物と基本的に同一であることなどから被告人の容疑を深めていった。捜査本部は、更に前記三千院の目撃者に対し写真面割を行い、また、警察犬による臭気選別を実施した。

大日堂事件については、平成五年八月一一日前記資材倉庫で未発火時限式発火物一個が発見されたことから、この発火物と目隠し棒を押収し、警察犬による臭気選別を実施し、更に前認定のとおり、資材倉庫で押し込み棒を発見して押収し、これについても、警察犬による臭気選別を実施した。

以上の捜査経過に基づき、警察官は、平成五年一二月二日被告人を本件各犯行容疑で通常逮捕し、検察官は、同月二四日被告人を起訴したものである。

第四  本件の証拠関係、争点及び審理経過

一  検察官の主張及びその裏付証拠について

1  検察官主張の概要

検察官は、本件犯行は、平成五年四月二五日、沖縄において開催される植樹祭に出席する天皇皇后の沖縄訪問を実力で阻止し、警察等の権力に対する報復のために中核派が敢行した同時多発ゲリラの一環であるところ、被告人は、関西における中核派非公然部門の最高幹部であり、同組織の中枢アジトである滋賀アジトにおいて、本件と同様のゲリラを立案計画し、その実行を指揮していたことが認められる。その裏付として、滋賀県警及び京都府警は、平成三年九月―三日合同で滋賀アジトの捜索を行って多数の証拠物を押収し、検察官において本件で証拠として提出している。また、本件において使用された合計四個の時限式発火物の各時限部DC回路のプリント基板のパターン及びその部品等が前記滋賀アジトから押収された証拠物(作成図)と合致している。三千院事件において、同院僧侶Bが事件前日の午後五時過ぎ拝観者の中に不審なアベックを目撃し、同人の説明に基づき作成した似顔絵の男性は被告人に似ており、Bは、写真面割りにおいても被告人の写真を選別している。被告人は、本件で殊更虚偽のアリバイを主張している。本件の決定的証拠として、本件各犯行現場に遺留された証拠物に被告人の臭気が残されている、などというものである。

2  検察官の挙げる主な証拠

(1) 滋賀アジトから押収された多数の文書、その主なものは、符号五九の「(寺テレックス計画2)罪状<1>「皇室の寺(御菩提所)」と記載された水溶紙一枚、符号六〇の「天皇の社寺一覧」と見出しの水溶紙一枚、符号六六の「報告『バイカルDRF問題について』」と見出しの水溶紙一枚、符号六九の「厳秘・UFのTEXプラン」と記載の水溶紙一枚、符号七〇の「ゼロックス計画」と記載された水溶紙一枚、符号七三の「革命的ゲリラ戦争の基礎」と題する水溶紙三〇枚、符号六一の「九一型CNの製作計画」と見出しの水溶紙一枚、符号六四の「一時間単位群CD回路」と見出しの水溶紙一枚等である。

(2) 三千院事件での目撃関係証拠

(3) 被告人のアリバイ証拠を弾劾する各証拠

(4) 警察犬による臭気選別関係証拠

以上のとおりである。

二  被告人・弁護人の反論ひいては本件の争点

1  検察官挙示の右各証拠に対する証拠価値の批判の概略(個別の証拠に対する詳細な反論については、後の検討段階で改めて掲げる。)及びアリバイの主張

(1) 検察官は、滋賀アジトからの多数の押収文書から、被告人の本件犯行を立証しようとしているが、そもそも同文書の捜査機関の解読あるいは解釈は相当間違っている。

被告人は、一九九一年(平成三年)九月滋賀アジト摘発の際公務執行妨害罪で逮捕され、その後身柄拘束のまま同罪で大津地方裁判所に起訴され、一九九二年一二月に保釈されるまで、一年数か月間勾留されていたものである。このような状況下で被告人の本件への関与を主張すること自体、不合理である。本件事件発生後の中核派名の犯行声明にも滋賀アジト摘発に対する報復という言葉は一切ない。また、押収文書の中に、本件の対象物件である三千院や大日堂に対する個別的ゲリラ計画に関する文書は存在しない。検察官が、被告人は、関西革命軍の最高幹部の地位にあったと主張し、滋賀アジトでゲリラ計画文書を決裁する地位にあったとするなら、被告人が自ら本件の実行行為に関与することはありえず、ましてや、被告人が前記のとおり大津事件で逮捕・勾留中に計画されたことについては一切関与していない(できなかった)とするのが自然の帰結である。

本件時限式発火物の各時限部の基になった符号六四の「一時間単位群DC回路」と見出しの水溶紙一枚(作成図)は決して独創的なものではない。同文書と同じ内容の文書(同文書のコピーでもよい。)が滋賀アジト以外の場所にないと言い切ることはできない。

(2) 検察官は、B証言等に基づき、右Bが、四月二四日午後五時ころ、三千院内で目撃した男が被告人である旨主張している。しかし、Bの証言を検討すれば、同人の目撃した男が被告人でないことは明らかであり、捜査側の似顔絵の作成も写真面割りの方法も極めて恣意的・作為的である。

(3) 被告人には、本件犯行時間帯全体にアリバイが成立する。

(4) 本件の審理経過、検察官の立証活動等を検討すると、本件では警察犬による臭気選別結果こそが、犯人と被告人との同一性に関する唯一の証拠と言っても過言ではない。したがって、刑事裁判史上前例のない極めて特異な立証構造となっている。

かねてより臭気選別の証拠能力及び証明力については、多くの裁判において論議されてきた。本件では右立証構造の特異性に鑑み、特に慎重な検討を要するところ、<1>息気選別が極めて多数回実施された、<2>一台のビデオによる一方向からだけのものという限界はあるが、臭気選別状況を撮影したビデオが多数開示された、<3>臭気の作成・保管に関する資料が開示された。この結果、従来推測を交えて抽象的にしか検討できなかった問題点を、具体的資料に基づいて実証的に検討することが初めて可能になった。

その結果、全国の警察の行っている臭気選別は、現在科学が解明した臭気や臭覚の本体、メカニズム等に極めて無知で、およそ科学実験の名に値しない、危険性を孕んだ不十分なものである。しかも、本件臭気選別自体の個別的問題点も多く、本件臭気選別結果に関する各証拠には証拠能力、少なくとも証明力が認められない、

というものである。

2  本件の争点

したがって、本件の争点は、被告人が、本件各犯行の実行正犯、なかんずく時間設定を施した各時限式発火物を、各犯行現場に設置したか否かにあり、その成否は、被告人・弁護人所論のとおり、本件臭気選別結果報告書等の証拠能力、証明力に大きく関わっている。

三  審理経過

本件では、事案の複雑・重大性に鑑み、平成五年一二月二四日起訴後、平成一〇年三月一六日結審まで四五回の公判を重ね、その中で、最大の争点である臭気選別関係の証拠調べに相当の期日を費やした。

検察官からは、最高裁昭和六二年三月三日第一小法廷決定(刑集四一巻二号六〇頁)に沿った必要な立証がなされ、特に、<1>犯行現場での犯人の臭気が付着していると見られる遺留品の押収経過、<2>右遺留品の保管状況、<3>その遺留品からの移行臭の作成及びその保管状況、<4>臭気選別実験に使用した誘惑臭(移行臭)の作成、その保管状況などが明らかにされた。また、<5>本件の臭気選別方法が適正であることを担保する目的で、実際の選別状況が多数の八ミリビデオカセットテープ(以下、単に「ビデオ」ともいう。)に収録されており、そのビデオが証拠請求された。また、捜査側の臭気選別は、犯人と被告人の同一性に直接結びつく、いわゆる橋本選別のほか、正確性を担保するため多方面の実験的な選別がなされており、そのビデオも多数証拠請求され、採用した。

裁判所は、多数の書証等の取調べを行ったほか、必要な証人尋問を行った。特に、本件臭気選別の実施責任者で各臭気選別結果の報告書を作成している榊、及び本件臭気選別の指導手竹本については、検察官並びに被告人・弁護人から詳細かつ執拗な尋問がなされた。両名の証人尋問は、前記警察犬による臭気選別経過を撮影した多数のビデオを同時に再生しながら行った。その方法は、法廷で技術者がビデオデッキ等を操作し、受像用の大型のモニターテレビ二台を裁判官、傍聴席に向けてそれぞれ配置したほか、検察官、被告人・弁護人に向けてそれぞれ受像用の小型のモニターテレビを配置して再生した。そして、再生に当たっては、右技術者がビデオデッキを操作し、問題箇所については、何度も巻き戻し再生、停止を指示し、更にプリントして公判調書に添付した。

また、当事者それぞれから、主張を裏付ける多数の判決例や文献が証拠請求されて、取り調べた。

なお、両当事者は、反対当事者からの書証の請求については、広く証拠を収集して裁判所に判断資料を提供するという趣旨から、できるだけ同意した(検察官請求の各臭気選別結果報告書については、被告人・弁護人は、一旦同意し、証拠調べの後、証拠能力を争って証拠排除を求める手法を選んだ。)

第五  検察官主張の臭気選別結果以外の証拠の検討

一  滋賀アジトから押収された各文書(被告人の中核派内の立場及び軍の作戦計画等に関する水溶紙)について

1  検察官の主張

大川は、滋賀アジトから押収した文書等を分析した結果として、「中核派の関西革命軍は、個人識別番号「九一七」と「九三五」の下に、「八〇六」「八二四」「八九七」をそれぞれ部隊長とする三つの軍部隊、それと「七九五」を部隊長とする脈管部隊とによって編成されており、「九三五」が被告人Aであり、滋賀アジトは暗号で「バイカル」と呼ばれていた。滋賀アジトの総括責任者は被告人であった。」旨証言している。

そして、

(1) 符号五三〇の「C(t)を‥」と書出しの水溶紙一枚には、「(1)バイカル固有の任務-中枢DFR、中枢CTNの建設」、「(3)幕僚、副官としての任務―攻防・建軍・兵站・政治的軍事的ANMの一切を扱う。WP化、コピー、ANM(資料)作成などの計画的分担を決める。軍令的ノルマとして貫徹してほしい。」などが記載されている。検九二八の警察官作成の捜査報告書によれば、DFRは防衛、CTNはアジト、WPはワードプロセッサーをそれぞれ意味している。したがって、滋賀アジトは、建軍・兵站・政治的軍事的な資料の一切を取り扱う中枢のアジトであったと認められる。

(2) 符号六九の「厳秘・UFのTEXプラン」と記載の水溶紙一枚によると、「<1>フラッシュ」「<2>対AT」「<3>モダン関係」等に項目を分けて、攻撃対象等が詳細に記載されており、前掲検九二八によれば、UFは軍を、TEXは作戦、ATは天皇あるいは皇室、モダンが関西新空港をそれぞれ意味している。そして、符号六九の水溶紙には多数の書き込みがなされており、上田証言及び検一二〇の右上田作成の鑑定書(以下「上田鑑定」ともいう。)によれば、右書き込みは被告人の筆跡と認められ、これらのことから、被告人が前記革命軍の作戦計画に深く関与していたこと及び皇室関連施設が革命軍の攻撃目標とされていたことが明らかである。

(3) 符号七二の「TEXexceptYアデランス」と朱書の水溶紙一枚によると、革命軍部隊である「八九七」「八二四」がそれぞれ攻撃する対象と思われるごとに、「FAX」、「TEX」「ツイスト」欄に分けて、数字が記載されている。前掲検九二八によれば、FAXは調査、TEXは作戦、ツイストは技術部門をそれぞれ意味していると解される。この書面は、各部隊ごとに、調査、作戦及び技術部門ごとに配分する予算を万単位で記載したものと推測される。そして、符号七二の水溶紙は、上田鑑定によれば、被告人の筆跡と認められるから、被告人が軍事部門の予算の作成、配分権限を有していた事実が認められる。

(4) 前記のとおり中核派が天皇あるいは皇室を攻撃目標としていることを考え併せると、符号六〇の「天皇の社寺一覧」と見出しの水溶紙メモ一枚は、攻撃目標としての天皇あるいは皇室関連の神社仏閣を調査した結果の一覧表と認められ、同一覧表には本件で被害にあった三千院及び青蓮院(大日堂)が挙げられている。

(5) 符号三八九の「12/4・3/14」と書出しの水溶紙一枚には、「(2)今回、九三五の「バイカル提起」でNSの基本路線と任務について提起と、バイカルの任務の全体像が明らかにされた。特に、その中でMZ的任務については具体的に要点が整理されているので、七九三八と共にこの水準で武装を勝ち取ってゆかねばならない。この領域における立ち遅れを早急に克服しプロ化してゆかねばならない。」と記載されており、前記のとおり「九三五」が被告人を意味していることから、被告人が配下の者に基本路線と任務を指導していたことが読みとれる。

(6) 符号七三の「革命的ゲリラ戦争の基礎」と題する水溶紙三〇枚及び符号七〇の「ゼロックス計画」と記載された水溶紙一枚及び符号五九の「泉涌寺テレックス計画」と記載された水溶紙(表題も一部溶けている)一枚等によると、「索的情報活動は、初めは公刊物を集め、次第に対象本体に接近すべきである。革命軍の指揮官と部隊は、作戦行動の目的と方針・戦術について必ず「計画書」を提出し、決裁を受けてから行動する。‥作戦部隊には非公然のアジトが絶対に必要である。武器は戦闘部隊みずから製造することが基本である。」旨(符号七三)、「(1)セット対象=平安神宮の勅使館、尚美館。・・・勅使館は、廊下の下(瓦を置いてある奥)にセット。尚美館は、現場判断が必要ですが、廊下の裏に「強力接着」したらどうか。これらは木造。他は不燃建築。(2)作戦・これらは「神苑」(有料)の中にある。昼間、観光客にまぎれて入る。→人通りの絶えた時にセット→夜、××させる。・編成は、アベックか、女性の二人連れ。××の「商品」は、小型(弁当箱)。」旨(符号七〇)、符号五九には、「指紋対策」の見出しのもとに、「セットする「商品」にあらかじめ、指紋の残らない包装を施してもらえないでしょうか。色は黒(又は茶)でお願いします。」旨の各記載があり、大川証言によれば、「商品」は、時限式発火物であり、いずれも本件犯行状況に極めて近似した状況が記載されている。

以上によれば、被告人は、関西における中核派非公然組織の最高幹部であり、同組織の中枢アジトである滋賀アジトの総括者として、本件と同様のゲリラを立案するとともに、活動予算を決め配分するなどし、その実行を指揮していたことは明白である。同アジトからは、本件犯行態様と極めて近似したゲリラ計画書も発見されており、本件犯行現場である三千院及び青蓮院(大日堂)も攻撃対象とされていること、関係証拠によれば、滋賀アジト捜索時、被告人が身近において保管していたこれら多数の水溶紙をバケツの中に投棄して証拠隠滅を図ったことなどを考慮すると、被告人自身本件各犯行の計画、実行に深く関与していることは明白である、というものである。

2  被告人・弁護人の反論

前記のとおり、本件は滋賀アジト摘発後一年半以上も経過した後の事件である。しかも、被告人はこの間大津事件で一年数か月勾留されていた。本件事件当時は保釈中であったとはいえ、このような状況下で、滋賀アジトからの押収文書から被告人の本件への関与を主張すること自体が不合理というべきである。大川証言及び滋賀アジトから押収した文書から推測されることがあるとしても、せいぜい本件が中核派によって行われたことのみであり、被告人もこの点を否定しているわけではなく、本件が中核派によって行われたことを立証しても何の意味もない。大川自身も、さすがに押収文書だけから被告人が本件犯行を実行したとまでは証言できず、被告人が何らかの形で関与したと証言するに止まった。なお、個別に検討するに、

(1) 大川証言は、暗号解読を行ったとしているが、正確性に欠けている。同人は、当初は「ML」を「マルクス・レーニン主義」と解読しながら、反対尋問では「意味が不明である」旨訂正し、「モスキート」を「アジト」から「過激派」に訂正している。

(2) 大川は、「本件は、滋賀アジト摘発に対する、滋賀県警と京都府警とに対する報復のためになされた。」旨証言しているが、「滋賀アジト」摘発から一年半後に滋賀県警と京都府警とは関係のない皇室関連施設を対象として報復するというのも不自然である。本件後の中核派名義の「犯行声明」にも「滋賀アジト摘発に対する報復」という言葉は全くない。

(3) 滋賀アジトからの押収文書の中には、本件の対象物件である三千院や青蓮院(大日堂)に対する個別的なゲリラ計画に対する文書は存在しない(検察官は、押収文書で「本件犯行現場である三千院及び青蓮院も攻撃目標とされていた。」と主張しているが、三千院や青蓮院が記載されているのは「天皇の社寺一覧」と題する書面のみであり、これらは、個別的なゲリラ計画に関する文書ではない。)。

本件は、滋賀アジト摘発後に計画されたと思われるところ、この様な計画が被告人の保釈後実行まで数か月という短期間でできたとは到底考えられない。本件は、被告人の勾留中に、被告人の不在の中で被告人とは無関係に計画されたことは明らかである。

(4) 大川は、被告人は関西革命軍の最高幹部の地位にあり、滋賀アジトでゲリラ計画文書の決裁をする地位にあった、などと証言している。そうすると、被告人は決裁官であり、実行者でないことになり、前示のとおり計画にも関与していないとするなら、被告人は本件犯行に一切関係していないとするのが自然の帰結である。

(5) 検察官は、符号六九の「厳秘・UFのTEXプラン」に被告人の筆跡であると認められる書込みがあると主張している。しかし、上田鑑定によっても、右書込みが被告人の筆跡と認められるとは言い難い。仮に書込みが被告人の筆跡であるとしても、被告人が「厳秘・UFのTEXプラン」と題する文書の存在を認識していたということのみであり、被告人の本件への関与の有無とは無関係である。

3  当裁判所の判断

(1) 前認定のとおり、平成三年九月一三日滋賀県警と京都府警が合同で滋賀アジトの捜索差押を行った際、被告人は、公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕され、警察官は、同所で多数の水溶紙を含む証拠物を押収した。関係証拠によると、被告人は、滋賀アジトの総括責任者、言い換えれば滋賀アジトは被告人のアジトであったと認めることができる。そして、大川証言をもとに、右押収にかかる水溶紙等を分析すると、被告人は、関西における中核派組織の相当の幹部であり、当時中核派内で本件と同様のゲリラ計画があったこと、被告人は、これらゲリラ計画の立案に関与していた事実が認められるとともに、その活動予算の配分を決裁する立場にあった事情も窺える。

(2) しかし、本件は滋賀アジト摘発後一年半以上経過した後の事件である。大川は、本件犯行の動機として、滋賀アジト摘発に対する滋賀県警と京都府警に対する報復であった旨証言をしているが、このような長期間経過後に、右警察とは関係の薄い皇室関連施設を対象として報復するのは若干不自然である。本件犯行の目的は、前掲中核派の声明、その他関係証拠からみて、平成五年四月二五日沖縄において開催される植樹祭に出席するための天皇皇后の沖縄訪問に反対し、これを実力で阻止し、併せてその反対運動を抑えようとしていた警備当局に対する報復であったと認められる。水溶紙を含む滋賀アジトからの押収物の中に、本件犯行対象の三千院や青蓮院(大日堂)に対する具体的なゲリラ計画文書が存在しないことは弁護人所論のとおりである。検察官は、押収文書から「本件犯行現場である三千院及び青蓮院も攻撃目標とされていた。」と主張しているが、三千院や青蓮院が記載されているのは「天皇の社寺一覧」と題する書面のみである。前掲符号七三の「革命的ゲリラ戦争の基礎」並びに押収文書の中の平安神宮や橿原神宮などの詳細なゲリラ計画文書(検九二六の大川作成の捜査報告書)等から考慮すると、三千院や青蓮院(大日堂)などに対する本件ゲリラには、本来同所の地理や建物の配置を含む具体的なゲリラ計画文書が必要と考えられる。そうすると、本件犯行において、滋賀アジトで発見されたゲリラ計画文書又はそれと同内容の文書類が参考にされた可能性を否定するものではないが、本件ゲリラを実行するには検察官主張の押収文書だけでは不十分である。

そこで、本件各犯行は、滋賀アジト摘発後に新たに計画あるいは具体化されたとみるのが自然である。また、被告人は、関西革命軍の最高幹部又はそれに近い地位にあり、押収文書から滋賀アジトではゲリラ計画文書を決裁し、活動予算を配分する権限を有していたものであるが、そうすると、そのような立場にある被告人が、決裁官の立場を離れて、何故本件現場での実行行為を担当したかも疑問の残る点である。

(3) もっとも、被告人は、前認定のとおり、平成三年九月一三日の滋賀アジト摘発の際逮捕され、その後起訴されて一審で平成四年一二月二二日保釈が許可されて釈放されるまで、身柄拘束されていたものであるが、右保釈後本件事件まで約四か月間あり、その間に新たに本件等のゲリラ計画に関与していないとは言い切れない。

検九三六の警察官作成の捜査報告書によれば、滋賀アジト摘発直後の中核派反戦青年委員会の名で配付されたビラの中に、被告人の逮捕を戦前の「特高警察」なみの暴挙ととらえ、「京都、滋賀県警に身も凍るような報復をしてやらねばならない。」旨の記載が存する一方、検九二五のフロッピーディスク(符号五四五)並びに検九二六、九二七、九三五及び九四六の警察官作成の各捜査報告書等によれば、中核派内の他幹部から、被告人は「おせおせ主義」者として指摘され、さらに、平成五年三月二五日関西革命軍で最高の地位にあったQ(前掲個人識別番号「九一七」)が病死し(これにより、被告人は自動的に関西革命軍の最高の地位に就いた可能性がある。)、同月二九日には右Qが統括していた大阪府富田林内のアジトが大阪府警によって摘発され、多数の文書やフロッピーディスクが押収された事実が認められる。大川は、滋賀アジトが摘発され、Qが死亡し、更に他のアジトも摘発され、軍(中核派革命軍)は、その波及阻止、それから緊急避難措置をとるのに目一杯であり、軍がゲリラを実行するような状態ではなかった旨証言し、暗に、このような状態下で、不十分な準備のもとに敢えて被告人が突出して本件犯行を実行したかのような証言をしている。

本件犯行のうち大日堂事件の犯行はかなり杜撰であり、前記犯行後の中核派の犯行声明文からみても、時限式発火物の設置場所を誤った可能性も考えられ(検二二添付の声明文によると、ゲリラを実行した対象として、青蓮院関係では茶室・好文亭、宝物殿・吉水蔵が記載され、関係証拠によると、右茶室・好文亭は、実際に被害に遇って全焼しているものの、宝物殿・吉水蔵は被害に遇わず、声明文の中に一切記載のない青蓮院の飛地である本件大日堂境内の資材倉庫が狙われた結果となっている。)、大川の推論にもそれなりに理由がある。しかし、本件は前認定のように、中核派が行った同時多発ゲリラの一環であり、その後の犯行声明と言い、かなり組織化された犯行であることは否定できず、ある程度の事前計画、武器や人員の確保が必要と推察され、弁護人所論のように被告人の保釈後の短期間でその準備をするには困難を伴う。

いずれにしても、大川証言は、推測の域を出ることはできず、本件滋賀アジトからの押収文書類から被告人の本件犯行を推認することまではできない。

二  時限式発火物と被告人の関係について

1  検察官の主張

(1) 尾崎証言及び同人作成の鑑定書二通(検一二八、一三五)(以下、同証言及び鑑定書等を併せて「尾崎鑑定」ともいう。)によると、本件各時限式発火物、すなわち三千院事件に使用され発火したため一部が焼けたり溶けたりしている合計三個の時限式発火物及び大日堂事件の未発火の時限式発火物の各時限部のプリントパターン及び使用部品(パーツ)は、滋賀アジトから押収された符号六四の「一時間単位群CD回路」と見出しの水溶紙メモ一枚の「回路とパーツ」の項のプリントパターン、パーツリスト(部品の種類)と一致しているだけでなく、その部品の個数及びパターン上での位置も完全に符合している。

(2) 尾崎は、右「一時間単位群CD回路」中の「設定可能時間」の項及び「CD操作方法」の項の記載に従って、本件四個の発火物の操作をすると、設定時間に確実に時限部内のヒーターが発熱し通電した旨証言している。

(3) また、滋賀アジトから押収された符号六一の「91型CNの製作計画」と見出しの水溶紙一枚には、時限式発火物の時限部の製作に関して、パーツ(部品)の選定及び工具等を使った手作りの手順が記載されている。

プリント回路関係の技術調査等を業としている有限会社小林技術事務所の所長で本人もプリント配線板の専門家である小林正作成の鑑定書(検九六四)によると、本件四個の発火物の時限部に使用されたプリント基板及びその配線は、いずれも民生用又は産業用の商品ではなく、また、マニア向けの市販キット等を組み立てたものでもなく、個人が製作目的に従い、各材料を購入し、手加工により製作した極めてオリジナル性の高いプリント配線板実装品であって、前記、「91型CNの製作計画」記載と同様の方法で製作されたことが認められる。

(4) したがって、本件時限式発火物の各時限部のプリント基板のパターン及び部品等が、滋賀アジトからの押収物である前記「一時間単位群CD回路」(符号六四)及び「91型の製作計画」(符号六一)の水溶紙の記載内容と合致し、しかも、右各時限部は、一般市場性のない一から手作りされた極めて個性的なものであり、その個別特徴がすべて符合しているのであるから、本件時限式発火物は、すべて右「一時間単位群DC回路」及び「91型CNの製作計画」に基づき製作されたものであり、この点からも被告人と本件各犯行の関係は深い、

というものである。

2  被告人・弁護人の反論

(1) プリントパターンの回路図の分析について、尾崎がその方面の専門家とはいい難く、同人の証言の信用性は低い。しかも、同証言によっても、本件回路図は特別の知識や経験がなくても作成できるものであり、部品も容易に入手できるものであるから、本件時限式発火物の各時限部CD回路のプリント基板が「一時間単位群CD回路」(符号六四)と合致するからといって、前者が後者に基づいて作成されたといえないことは明らかである。また、小林正作成の鑑定書(検九六四)では、本件時限式発火物の各時限部が手加工により製作したオリジナル性の高いものであるにすぎず、右各時限部の元となった作成図が独創的であるとか、ましてや、これらが、「一時間単位群CD回路」に基づいて作成されたとまで言っているものではない。

(2) 百歩譲って、仮に本件時限式発火物の各時限部のプリント基板が「一時間単位群CD回路」の内容と合致するとしても、符号六四の「一時間単位群CD回路」と題する水溶紙には被告人の筆跡による書き込み等被告人がその存在を認識していたという形跡はなく、被告人が同文書を作成し、あるいは決裁した事実は認められない。

さらに、符号六四の水溶紙が原本であるとか、これと同じ文書が滋賀アジト以外の場所にはなかったということは立証されておらず、したがって、本件発火物の各時限部のプリント基板は、符号六四ではなく、これと同じ内容の他の文書(コピー等)に基づいて作成された可能性も否定できない。

(3) 結局、尾崎証言や符号六四の「一時間単位群CD回路」と題する水溶紙から推測できることは、他の文書と同様、本件各犯行が中核派によって行われたということのみである。

3  当裁判所の判断

本件時限式発火物と検察官指摘の各証言、滋賀アジトからの押収文書類及び鑑定書等を比較検討すると、検察官所論のとおり、同発火物の各時限部のプリント基板のパターン及び部品等が、滋賀アジトからの押収物である前記「一時間単位群CD回路」(符号六四)及び「91型CNの製作計画」(符号六一)の水溶紙の記載内容と合致し、しかも、右各時限部は、一般市場性のない一から手作りされた極めて個性的なものであり、その個別特徴がすべて符合していると認められる。

しかし、符号六四の水溶紙が原本であるとか、これと同じ文書が滋賀アジト以外の場所にはなかったということはできず、したがって、本件時限式発火物の各時限部のプリント基板は、符号六四ではなく、これと同じ内容の他の文書(コピー等)に基づいて作成された可能性も否定できない(むしろ、右各水溶紙は、本件各犯行の一年半以上前大津事件の際警察当局に押収されている。前記のように、右各犯行はその後に具体化された可能性が強いとすれば、本件時限式発火物も大津事件後、これらの文書のコピーあるいは他の類似するオリジナル文書を下に製作された可能性の方が強い。)。

したがって、滋賀アジトから前記時限式発火物の作成図あるいは仕様書等が押収されたことの意味は、せいぜい、本件時限式発火物は、これらの作成図等又はそれと同内容の作成図から製作可能であり、被告人も滋賀アジトにおいてこれらの作成図を見る機会があり、被告人自身あるいは被告人の関係者が、本件時限式発火物の製作者であると考えても矛盾はないというに止まり、同証拠から被告人の本件犯行を推認することまではできない。

三  目撃証言について

1  関係証拠の内容

(1) Bの目撃証拠の概要

Bは、三千院の僧侶であるところ、同院の法務部に所属して、普段は概ね午前八時一五分ころから午後五時三〇分ころまで勤務し、僧侶としての一般的仕事のほか、拝観者への説明、法要の準備及び諸堂の清掃等の業務に就いている。四月二四日も通常どおり午前八時三〇分から午後五時までの間で参拝客を受け入れ、午後五時すぎころ、同寺院の北側に位置する宸殿の西の間で清掃作業をしていた際、当日最後の拝観客が入って来た。当日は、午後五時から近く催される御懺法講の準備会が予定されていたため、Bはアベックに早く出て行ってもらいたいと思いながら、同アベックを注視していたところ、まず、アベックの女性が宸殿西の間の前(南側)の廊下を通るのを二、三メートルの距離に認め、その後西の間の東側に位置する虹の間の前の廊下の南東角から、同女が男性と二人で、宸殿を出て庭伝いに南側に位置する往生極楽院へ行き、同建物の北東角付近を歩いている姿を認めた。Bが見ていると、アベックは、往生極楽院の北東角から同院の東側に沿って南方へ歩き、更に西側に曲がり同院の正面(南側)入口の方に歩いて行ったため、いったん姿が見えなくなった。その後Bは、宸殿西の間の前の廊下に移動したが、姿を見失って約五、六分後、アベックが往生極楽院の南西角から出て来た。アベックは西側に折れたが、そこは竹の垣で通行止めになっていたためか、逆戻りして前の道に出て、宸殿西の間の前の廊下にいるBの方に歩いて来た。Bとの距離が一四、五メートルになった地点で、アベックの男性が前に立ち、女性が斜め後ろ約一メートルの位置に立った状態で、男性がBに対し、「出口はこちらではないのですか。」と聞いてきたので、Bが、往生極楽院の南西方向の西方門の方向を指して教え、Bの近くにいた他のJという職員がアベックを同門へ案内した。アベックが西方門から出て行ったのは、午後五時二、三〇分ころであった。アベックは両方とも特に変装をしているようには見えず、その男性の方は手に何も持っておらず、女性の方は縦二〇センチメートル、横三〇センチメートル位のハンドバッグを持っていた。Bは、当時メガネを掛けており、視力はメガネを掛けて両眼とも一・二である、などというものである。

(2) Cの日撃証言の概要

Cは、当時三千院の研修生で、三千院に住み込んでいたものであるが、四月二四日掃除が終わったころの午後五時ころ、当日最後の参拝客だと思われるアベックを目撃した。最初、客殿の出口約一、二メートルの距離から男性の方を見ていたが、その男は、ただ立って、何を見るでもなく、一般の客が目に留めない斜め上方(鴨居や天井部分)を見上げていた。次にアベックの女性を見たが、客殿内の出口に近い所にいたが、自分との距離は分からない。次にアベックを見たのは、宸殿の西側の内仏という部屋で、女性は仏さんに手を合わせて拝んでおり、男性は内仏の部屋から外に移動していた。目撃している自分と男性との距離は二、三メートル、女性とはその一・五から二倍の距離であった。その後、アベックは往生極楽院の方へ歩いて行った。往生極楽院の西側の南北の通路を南向きに歩いていき、建物の南側の正面入口の方に入って見えなくなった、などというものである。

(3) 右両証人の供述に基づく似顔絵の作成とBの写真面割りの結果及び被告人との捜査・公判での面通し結果

前掲B証言並びに夛名賀の証言及び警察官各作成の捜査報告書(検一三、一四ないし二一、二二四、二二七)によると、次の事実が認められる。

<1> Bは、前記のアベックを目撃してから三日後の四月二七日夛名賀に対し、目撃したアベックの特徴を説明した上、同アベックの各似顔絵及び全体の姿絵合計四枚を書いてもらった(検二二四参照)。その際、Bは夛名賀に対し、アベックの男性の人相・風体について、概ね「年齢は四五歳から五五歳、体格がっちり、顔の感じは男性的、表情は怖い、身長は一七〇ないし一七二センチメートル、顔型は四角でしわが目立つ、目はやや細い切れ目、顔色は浅黒、頭髪は白髪混じりのオールバック、鼻は鼻筋が通る、眉毛は普通、会社役員風、ひげ・帽子・メガネ・覆面はなし、薄いグレーのジャケット様、色不明ズボン、ネクタイ不明等」と説明し、同説明により作成された似顔絵を見て、「口は不明確だが、目元と輪郭がよく似ている。」、姿絵についても、「こんな感じだったと思います。」などと供述している。似顔絵作成の夛名賀は、Bの評価から、似顔絵の確度八〇パーセント、Bの記憶度をABCにランク付けしてBと判定した旨証言している。さらに、Bは、五月八日、警察官(捜査官、本件の捜査担当者はできるだけ捜査官で統一するが、必要がある箇所については具体的に特定する場合もある。)から被告人を含む中核派活動家男女各六名の上半身の写真台帳(検一三)を示されて、アベックの女性に似た写真は指摘することができなかったが、男性については、「目元がよく似ている。」として被告人の写真を抽出した。また、七月一日検察官から、被告人を含む中核派の男性活動家三〇名の顔写真を貼った写真台帳(検一九)を示されて、アベックの男性に似ていると言って、被告人の写真を抽出した。

同月一六日警察官から、昭和六二年一〇月から平成五年六月までの間に京都府警が中核派の活動拠点である前進社の京都支局及び関西支社を捜索した際撮影した現場写真で、一部の写真に被告人が写っている写真一二枚を貼った写真台帳(検一四)を示された際、アベックの男性と似た男であると言って、被告人が写った写真を抽出した。一二月一六日検察官から、被告人を含む中核派の男性活動家一三名の被疑者写真を貼った写真台帳(検一五)を示されて、アベックの男性に似ていると言って、被告人の写真二枚を抽出し、被告人を含まない中核派の男性活動家一五名の写真台帳(検一五)を示されて、いずれの写真もアベックの男性と違うと言い、同じく当日、六月一九日に京都府警が前進社関西支社を捜索した際撮影した現場写真で、被告人が写っている写真一七枚を示されて、「各写真のすべてにアベックと似た男が写っていて、目元が似ている。」旨説明して、全ての写真面割りにおいてアベックに似ている男性の写真として被告人の写真を抽出し、Bは公判廷でも、同じ写真台帳を示されて、ほとんど同様の証言をしている。

しかし、Bは公判廷で、一二月四日京都府警本部前の道路反対側に停めてある自動車の中から府警本部から歩いて出てくる被告人を実際に見た時の印象について、「アベックの男性は、もっとがっしりして、顔ホームベース型、日に焼けて浅黒い顔だった。」「アベックの男は土建屋風で被告人とは印象が違った。目元はあんな感じだと思いました。」「被告人の体格は、普通のサラリーマン風に見え、全然違うと思った。身長も多少低く、警察官にも全体的に違うという話をした。」旨証言している。警察官は捜査段階で、Bにマジックミラーを使って被告人との面通しを試みたが、被告人が顔をうつ伏せにして拒んだため失敗した。

Bは、公判廷で被告人を見て、「アベックの男と断定できない。」旨証言している。

<2> CもB同様、前記四月二四日に目撃したアベックの人相、風体等を警察官に説明して似顔絵作成に協力し、写真面割りなどを行っている。検二二七の捜査報告書添付の「協力者の記憶分析表」や似顔絵を示されながらCが証言している内容は、概ね「四月三〇日警察官にアベックそれぞれの顔形、服装等を説明し、似顔絵を作成したが、男性については、年齢四、五〇歳、身長一六八センチメー卜ル、がっちりした体格で顔の感じは男性的で、顔形は少し下ぶくれ、目や口の形は覚えていない、メガネは掛けていない、完成した似顔絵について男性の方、大して似ていない。女性の方、全く似ていない。自分の視力は、メガネを掛けて一・〇から一・二の間である。Bの似顔絵を見せてもらったが、男性の方は自分のものより似ている。写真面割りについて、一、二回一応似ているということで選んだことはあるが、選ばなかった時の方が多い。自動車に乗って建物から出てくる男性をみたが、アベックの男性に似ているか似ていないかさえ分からなかった。」などというものである。

2  検察官の主張

Bは、被告人及び警察や検察庁のいずれとも無関係の第三者であるところ、似顔絵作成に始まり、その後の度重なる様々な角度からの写真面割りにおいて、被告人をアベックの男性に似ているとして被告人の写真を抽出し、被告人の写真がない場合にはアベックの男性に似た男の写真はないと明確に判断しているのであって、Bの目撃証言の信用性は極めて高く、アベックの男性が被告人であった蓋然性は高いと認められる。

なお、Bの面通し結果は、一見して、写真面割り結果よりやや後退しているように見えるが、Bは、人相の中で最も印象的で記憶に残る目元につき、「僧侶という職業柄、人と話をする際、意識的に相手の目をみるようにしている。」ところ、アベックの男性に対しても、「目を特に見ていた。」が「アベックの男性の目が切れ長のするどい目をしており」、実際の面通しの結果においても、目元については、「あんな感じだったなと思いました。」旨証言し、被告人の目元がアベックの男性の目元に似ていることは終始一貫しており、髪形や全体的な面通し結果がBの目撃証言の信用性を低下させるものとはいえない。

3  被告人・弁護人の反論

Bの証言を検討すれば、同人の目撃した男は、被告人でないことは明らかである。

(1) Bの目撃した男の特徴と被告人のそれとの間で、年齢と身長の他に、あえて似ている点を挙げれば「目が切れ長」という点のみであって、これを除いて全く一致していない。

そもそも、Bは、「目を特に注意していた」と証言し、目元と額のしわ以外に際立った特徴を証言していない。このような場合、「体格がっしり」「日焼けした浅黒い顔」「顔ホームベース型」「土建屋風」「会社役員風」等の全体的特徴は、顔の部分的特徴よりはるかに目撃した男の特徴を示しているというべきである。しかも、その特徴は、Cの目撃証言とも一致している。これらの特徴は、被告人のそれとは明らかに異なる。

Bが目撃した男が被告人でないことは、同人の面通しの結果からも明らかである。

(2) 大川は、滋賀アジトからの押収文書を分析した結果として、寺院等に時限式発火物を設置する場合、「アベック等の観光客を装って侵入する。」、また、「不審を与えそうな時は先制的に話しかける。」という記載があり、これらは、Bの目撃したアベックの行動と合致する旨証言している。しかし、同時に押収文書の中には、「変装・偽装すること」という記載があるが、B証言によれば、同アベックは何ら変装・偽装していない。また、「不審を与えそうな時は先制的に話しかける。」との記載は、大川も認めるとおり、アジ卜やそこに住んでいる人の防衛について記載したもので、本件のように積極的にゲリラ攻撃を仕掛ける際の問題ではない。攻撃で声もかけられていないのに、積極的に話しかけるような指示はされていない。

(3) 夛名賀作成の似顔絵(Bの説明による物)について、窪内証人も「四月二七日ファックスで受け取り、その男が被告人に似ているという印象を受けた」旨証言している。しかし、右の似顔絵が被告人に似ているか疑問である。仮に、被告人に似ているとしても、以下のような問題点がある。

<1> 似顔絵には、これを描く人の主観が入ったり、その誘導の危険性がある。しかも、描く人の技術によって出来ばえは大きく左右される。

<2> 夛名賀は、記憶分析表に基づいて似顔絵を描いたが、右記憶分析表には口や耳についての特徴の記載がなく、眉毛も普通というにすぎないから、正確な似顔絵を描くには情報不足というべきである。

<3> 関係証拠によると、夛名賀は、本件似顔絵を描いたほか、四月二五日に三千院の写真撮影を行い、七月一六日には往生極楽院近くで見つかった足跡鑑定について電話聴取を行ったりして、本件捜査に従事しており、事前に被告人を知っていて、殊更被告人に似せて似顔絵を作成した可能性も否定できない。

(4) 写真面割りについては、Bが選別した被告人の写真は、アベックの男と被告人が同一であると断定しているわけではない。

しかも、五月八日にBに見せた写真(検一三)は六枚と少なすぎる上、<1>アベックの男はメガネを掛けておらず、メガネを掛けた二、三番は除外される、<2>年齢が四五から五〇過ぎは被告人のみである、<3>表情が怖いというのは被告人のみである、<4>顔の写真全体に対する面積の割合は被告人が最も大きい、<5>黒白コントラストは被告人が最大であり、捜査官は、意図的にBに被告人の写真を選別させて記憶を変成させ、固定化していったと考えられる。検一五以下の写真でも、被告人の写真しか選ぶことが出来ないよう作為がなされている。検一五で被告人の写真だけ殊更二枚貼っている。しかも被告人の写真の前後に若い人の写真を配列している、検二一の写真はすべて被告人の写真である。

(5) 窪内証言の中に、「滋賀アジトの摘発直後、京都府警は、被告人を乃木神社についての放火予備罪で摘発すべく捜査したが、翌年四月に一旦起訴は断念せざるを得なかった。」などという部分がある。右証言から、警備当局は、被告人の新たな犯行に捜査を変更し、たまたま本件が発生したため、これと被告人を無理矢理結び付けるため、夛名賀に被告人に似せた似顔絵を書かせ、Bに前記のような偏向した写真面割りを行い、被告人を本件犯人にでっち上げていったものと推察される。

4  当裁判所の判断

(1) 右は三千院事件だけに関する証拠である。しかも、B、Cとも、犯行を直接目撃しているわけではなく、公訴事実記載の犯行時間帯に犯行現場近くで不審な行動のアベックを目撃したというに止まる。しかし、同人らの目撃したアベックの男性が被告人であるとすれば、この時期に被告人が何故門跡寺院の一つである三千院を訪問したのか大きな疑問が生じ、前検討の滋賀アジトからの水溶紙と併せると、被告人の本件犯行関与に繋がる重要な事実であることは否定できない(もっとも、同事実から直ちに検察官釈明の実行行為まで推認できるものではない。しかし、共犯の成立はある程度肯認できる。)。しかも、大日堂事件への被告人の関与をも窺われる事実であり、慎重な検討が必要である。

(2) Bの説明に基づき夛名賀が作成した本件アベックの男性の似顔絵(検二二四添付)が、被告人にある程度似ている事実は否定できない。しかも、前記写真面割りの結果も無視できない(もっとも、Cの説明に基づき作成された似顔絵(検二二七添付)は、ほとんど被告人に似ていない。)。また、前示のとおり、検二七の実況見分調書によれば、被告人の身長(検一四九の警察官作成の電話受発信書によると、平成三年九月一三日大津事件で逮捕された時の被告人の身長は一六七センチメートルであったと認められる。)で、往生極楽院で床面に両足をつま先立ちになり、腕を伸ばすと、三個の発火物をそれぞれ本事件の際、遺留されていた壁面鴨居内に設置することは可能であると認められる。

(3) しかし、Bは公判廷で、前記男性の体格や顔形あるいは全体的印象として、「体格がっしり」、「顔ホームベース型」、「日焼けした黒い顔」、「土建屋風」、「会社役員風」などと明らかに被告人と異なる特徴を挙げている。

しかも、Bは、捜査段階で直接被告人を面通しした結果、「似ているところは、目元ぐらいで、被告人は土建屋風ではなく、サラリーマン風で、アベックの男に比べて身長が低く、痩せているので、一回り小さい感じで全体の印象は違った。」旨証言し、当時警察官にも「全体的に違う。」と説明していた事実が認められる。また、法廷で被告人を確認して、「アベックの男と断定できない。」と証言している。関係証拠を検討しても、本件事件発生の平成五年四月当時とBが公判廷で証言した平成七年一、二月の間で被告人の体格や顔型が大きく変化した状況は見出せない。B証言によると、同人が目撃したアベックの男性が偽装・変装していた様子も窺えない(もっとも、Bの証言だけから、アベックが偽装・変装していないと断定することはできず、アベックの男性が顔型や肌の色等を巧みに偽装している可能性も考慮する必要があるが、そうすると、その変装・偽装は極めて中途半端であり、やはり、B及びCの各証言を総合すれば、同アベックは殊更偽装・変装はしていなかったと認めるのが相当である。)。

さらに、Bが、法廷で被告人を目の前にして、事実に反して明確な証言を回避したとか、特に被告人を庇うような証言をしているような印象もない。

そうすると、弁護人所論のように、似顔絵及び本件写真面割りの方法による犯人特定の危険性を考える必要がある。夛名賀は公判廷で、右似顔絵作成時において、予め被告人の顔を知らなかったような証言をしているが、被告人が関西における中核派非公然部門の相当な幹部であり、警察の警備事件担当者の間では著名な人物であることは、容易に推測でき、当初から本件捜査に従事した夛名賀が被告人を知らなかったというのもにわかに信用できない。また、写真面割りは、五月八日の検一三添付の面割写真台帳から始まっているが、同写真台帳から前記Bが目撃したアベックの男性を選び出すとしたら、必然的に被告人の写真を選び出すしかない旨の弁護人の主張もそれなりに根拠がある。その写真面割りでBの記憶は、アベックの男性を被告人に変形してしまい、以後写真面割りにおいて、被告人の写真を選んでいったことも十分考えられる。

(4) 捜査当局が、当時アベックの男性を真に被告人と考え、真摯にその裏付け捜査を行ったとするなら、四月二四日の日の三千院の拝観券や拝観者が支払った貨幣の中から、被告人の指紋等の採取に努力した形跡があってしかるべきであるが、捜査主任の窪内証言では気付くのが遅かったとか、四月二四日は土曜日で参拝客も約一七〇〇人もあったなどと、弁解がましい答えしか返ってこない。この点は納得し難い点である。

アベックの男性が被告人とするなら、京都府警が今に至るまで当時被告人に同行していた女性を割り出せないのも疑問の一つである。

そもそも、アベックは、当日三千院に拝観客の途絶えた終了間際にやって来て、帰りには僧侶に近づき帰り道を尋ね、三千院の職員に出口まで案内させ、極めて目立つ行動を採っている。同アベックの男性が被告人で、当時往生極楽院の鴨居に時限式発火物を設置したと考えると、余りに大胆・無防備で、いかにも不自然である。

大川は、滋賀アジトからの押収文書を分析した結果として、寺院等に時限式発火物を設置する場合、「アベック等の観光客を装って侵入する。」、また、「不審を与えそうな時は先制的に話しかける。」という記載があり、これらは、Bの目撃したアベックの行動と合致する旨証言している。しかし、同時に押収文書の中には、「変装・偽装すること」という記載があるが、前記のとおり同アベックは特に変装・偽装しているような情況はない。また、「不審を与えそうな時は先制的に話しかける。」との記載は、大川も認めるとおり、アジトやそこに住んでいる人が危機に遭遇した場合(行動に不審を抱かれ、ひいてはアジトの存在等が捜査機関に発見される手掛かりを与えそうになる場合等が考えられる。)の防衛について記載したもので、本件のように、積極的にゲリラ攻撃を仕掛ける際の問題ではないことは明らかである。

以上によれば、Bの目撃したアベックの男性が被告人である可能性は低い、少なくとも本件程度の目撃証拠ではいまだ不明というほかない。

第六  被告人のアリバイの成否について

一  被告人・弁護人の主張

被告人には本件犯行可能時間全体にアリバイ(不在証明)が成立する。

1  まず、本件で被告人の無罪を主張するために必要なアリバイの範囲について

本件犯行の日時はいずれも平成五年四月一九日午後七時三〇分ころから同二五日午前三時三〇分ころの間である。これは、三千院事件における現実の発火時刻及び同事件現場から発見された発火物の時限装置の設定時間(時間の長さ)から割り出せれた犯行日時であることは明らかである。

しかし、B証言、Kの警察官調書(検九四一)及び警察官作成の実況見分調書(検二六)によれば、三千院の各出入口の施錠情況、敷地内のセンサーの守備範囲、塀の高さ、その他の保安体制などからみて公開時間外に三千院内に侵入することは極めて困難であると認められ、特に右Kは、犯人は、昼間(公開時間帯午前八時三〇分ころから午後五時三〇分ころまで)に、一般拝観客に紛れ込んで時限式発火物を仕掛けたとしか考えられない旨供述していること(検九四一)などを考慮すると、三千院事件で被告人・弁護人の主張・立証すべきアリバイは、四月二〇日から四月二四日までの各午前八時三〇分ころから午後五時三〇分ころまでの合計四五時間の時間帯であるといえる。

2  当時被告人が置かれていた状況等について

(1) 被告人は、平成三年一〇月三日大津事件で起訴され、平成四年一二月一一日懲役八月の有罪判決を受け、大阪高等裁判所に控訴し、一旦平成五年三月二二日がその控訴趣意書の提出期間と定められ、その後右期限は五月三一日に変更された。被告人は当時右控訴趣意書の作成、その前提として新証拠作成(犯行現場の再現及び被告人の行動の再現実験並びにその証拠化(検証調書の作成))のための弁護人らとの打合せ、その他の控訴審に向けての準備に追われていた。検証は当初四月二四日に予定されていたが、押収品の還付が遅れたりして、五月二日に変更され、被告人がその期日変更を知ったのは四月二三日であった。

(2) 被告人は、当時中核派の関西方面における弾圧対策委員会の最高責任者として、前進社を拠点に活動していた。当時、被告人らの属する弾圧対策委員会は警察による微罪を理由とする検挙攻勢に対し極めて忙しい対応を余儀なくされていた。

(3) 被告人は、中核派の関西方面における大衆闘争(=デモ、集会)を組織・指導する責任者の一人として、当時天皇の沖縄訪問阻止闘争等のデモ、集会等を組織・指導しており、多忙を極めていた。

(4) 被告人は、一月ころよりH子(妻)と小旅行を計画し、四月二一日午前六時から四月二三日午後八時まで前進社を空け、右小旅行に出掛けていた。

(5) 被告人の両親は兵庫県《番地略》に住んでおり、犯行時間帯の直前からそこにしばしば帰省していた。

3  具体的アリバイの内容

その内容は、別紙アリバイ一覧表のとおりである。

補足すると、

(1) 四月一九日

午前九時から同一二時まで前進社での会議、午後三時から同九時まで西宮の実家に帰省、午後一一時から翌午前一時まで前進社での会議。

(2) 四月二〇日

午前一〇時から午後一時まで前進社に対する愛知県警の捜索・差押の際捜査官に現認される。午後一時から午後六時まで前進社での会議、夜前進社でのGとの打合せ。

(3) 四月二一日

午前六時H子との小旅行に前進社を出発、午前一〇時大阪市内の「平野西公園」でH子と落ち合い、阪和線の津久野駅に向かう、午後〇時前津久野駅から阪和線の下り普通列車に乗車、午後〇時一三分鳳駅で特急黒潮一三号に乗り換え午後一時一三分御坊駅着、同所で昼食、午後二時三〇分ころ駅前より日の岬行きバスに乗り約三〇分で同所に到着、同所で一時間くらい散策してバスに乗車、午後四時ころ御坊駅の手前の「西御坊」という停留所で下車して近くの焼肉屋「丸金」に入って食事、午後六時「丸金」を出て流しのタクシーをつかまえホテル「グリーンヒル美浜」にSという名前で宿泊して以後外出なし。

(4) 四月二二日

午前九時三〇分ころチェックアウトし、徒歩で御坊駅に向かい駅前で朝食をとり、午前一〇時五六分御坊駅で下り普通列車に乗車、同五九分道成寺駅で下車、近くの道成寺見物して午後〇時ころ駅前のレストラン「雲水」で昼食、午後一時前道成寺駅から上り普通列車に乗車して海南市に向かう、午後一時五六分海南駅につきバスで県立自然博物館に行き見物・雨宿りをした後再びバスで駅前に戻る、午後三時三〇分ころジャスコの喫茶店「パーラー・コロンビア」に入り時間を過ごす、その後駅前の「村さ来」に入り夕食をとり、駅前に戻り、タクシーで近くの旅館「菊水荘」に行きMの名前でチェックインし以後外出なし。

(5) 四月二三日

「菊水荘」で朝食の後、午前九時ころチェックアウトして徒歩で和歌山バスのバス停「日方」に行き、バスに乗車し、「紀三井寺」「和歌浦」で乗り換え、約一時間で「新和歌浦」に到着する。午前一〇時ころバスを降り海岸沿いに雑賀まで一時間かけて散歩し、バス停「雑賀崎」近くの寿司屋「浜むら」で昼食、「雑賀崎」でバスに乗り和歌山市内の「市役所前」で下車、買い物をし喫茶店に入ったりし、バスで南海電鉄の「和歌山市駅」に向かう、午後三時三〇分ころ「和歌山市駅」で難波行きの南海急行に乗車し約一時間三〇分かかって難波に到着、午後五時ころ「難波駅」でH子と別れ午後八時ころ前進社に戻る、午後九時から同一二時まで前進社内で会議。

(6) 四月二四日

午前一一時ころF子が被告人を前進社三〇一号室で目撃、午後二時三〇分ころ再びF子が同室を覗いたところワープロを作動させたまま被告人は席にいない、午後四時三〇分から同五時三〇分前記Gが被告人と協議、午後五時三〇分I、N某とともに前進社を出て西宮の実家に向かう午後七時ころ実家に到着、その後運転手のNを帰し、Iと夕食をとりそのまま二人で実家に泊まる。

(7) 四月二五日

午前八時ころ起床、午前九時ころ朝食が終わるか終わらないうちにテレビニュースで本件放火事件を知り、午前一〇時ころIと実家から前進社に向かう。

以上のとおりであり、これらの被告人の行動については公判提出の各証拠によって十分裏付けられている。

4  被告人・弁護人のアリバイ立証に対する検察官の弾劾活動に対する批判又は反論

検察官は、弁護人のアリバイ立証に対し、その信用性を弾劾するため反証活動を行ったが、ことごとく失敗し、むしろ、単に反証活動に失敗したに止まらず、右反証活動の中で被告人を有罪に陥れるためあえて誤解を招く証拠資料を作成、提出している。

(1) H子証言に対する弾劾について

<1>日の岬発のバスは西御坊のバス停を経由しないことにつき、検三八九の警察官の捜査照会に対するバス会社の担当者作成の回答書を得ているが、弁一三〇の弁護士法に基づく回答書では、警察に対する回答は通常の場合のことであり、数日の短期間の工事による迂回では陸運支局に届出もなく、この場合担当者の記憶に頼るしかなく本件では確認の方法がなかった、というものであった。<2>御坊駅での乗り換えの件、道成寺駅での切符購入の件について検察官の批判は、些細な事でありH子の記憶違いもあり得る。

(2) I証言に対する弾劾について

検察官は、四月二五日の午前八時三〇分から午前九時三〇分までに、被告人の実家周辺で本件事件を伝えるテレビ放送はなされていない旨主張し、検四二九ないし四四四の警察官作成の捜査報告書や捜査関係照会書及び右照会に対する各テレビ局の回答書を証拠として提出したが、右テレビ局は弁護人側の照会に関しては答えようとせず、不公平である。しかも、検察官提出の検四三九、四四〇の日本テレビ宛の捜査照会及びその回答によれば、午前八時〇〇分一二秒ころから一分四〇秒ころまでの間に、当該事件の発生を報じ、その後約一分間スタジオトークにて感想的なコメントをしている事実が明らかになっている。

(3) O子(被告人の実母)証言に対する弾劾について

検察官は反対尋問において、明らかに誤った事実を前提にして同証人を困惑させ、窮地に追い詰める手法を採っている。

(4) その他

検察官は、G、F子の各証言並びに前掲H子、I及びO子各証言について、殊更同人らが被告人の配下にいる中核派活動家であったり、中核派のシンパであったり、被告人の仲間、家族であることを挙げ証言の信用性を批判するが、全く抽象的信用性批判で具体的根拠がない。また、G・F子両証言については六か月も経過後に記憶を喚起しての証言にしては詳細すぎるなどと批判するが、これも全く抽象的信用性批判というべきである。

二  検察官の主張

本件犯行時間帯における被告人のアリバイの主張は、これを支えるGらの各証言が以下のとおり虚偽であり、被告人のアリバイは虚構の事実であることは明らかである。

被告人が犯人でなければ、本件のような虚偽のアリバイを主張することは考えられないことであり、この点も、被告人が本件各犯行の犯人であることを裏付けているともいえる。被告人・弁護人のアリバイの中心は、前進社での目撃、和歌山旅行、実家への帰宅の三点であるが、いずれも虚偽ないし虚構の事実である。

1  前進社での目撃について

G及びF子は、いずれも被告人らの主張に沿う証言をしている。

しかし、右各証人は、いずれも被告人配下の中核派活動家であって、被告人と口裏合わせができる仲間内の証言であるので、その証言は信用できない。かつ、右Gらは、本件の前後を通じて発生したような出来事を数多く経験したため、各出来事の記憶が薄れているはずであるにもかかわらず、六か月も経過して被告人が逮捕されたのに、本件当時の被告人の行動について詳細かつ明確な記憶を有していること自体不自然であり、作為的なものが感じられる。

Gは、四月二三日午後九時ころ、Pが釈放されることになった経過につき被告人に報告、被告人から批判されたことなど対策会議の内容を証言しているが、同時にGは、四月二四日朝被告人に対しPと共に一旦前進社に帰ると言って大阪拘置所に同人を迎えに行きながら、大阪拘置所に来ていたPの職場対策担当者に同人を連れて行かれたなど信じ難い内容の証言をしており、被告人との対策会議自体の存在が疑わしい。

F子は、四月二二日午前九時から翌二三日午前九時まで、前進社で司令当番で終日前進社内の司令室にいたと証言しているが、関係証拠によると、四月二二日午前一〇時一五分から同一一時四九分までの間、大阪府警が前進社の捜索を行った際、F子が不在であったことが確認されている。

2  和歌山旅行について

H子は概略被告人・弁護人の主張に沿う証言をしている。

しかしながら、H子は被告人の内妻であり、中核派の構成員又はシンパと目される人物であって、その証言は信用できない情況がある上、そもそも、和歌山旅行の期間中は、中核派が組織を上げて天皇訪沖阻止闘争を展開し、Pや仲間が次々逮捕・勾留され、前記中核派非公然組織の最高幹部Qが急死し、富田林アジトが摘発された直後の時期で、そのような緊迫した時期に、被告人がのんびりと家族旅行に出掛けていたということ自体が不自然、不合理である。

H子は、日の岬からJR御坊駅行きのバスが西御坊で停車することがないのに、西御坊のバス停で下車したと証言し、被告人らがJR道成寺駅に行った四月二二日、同駅は無人駅であったため、改札口を出る際は切符は集札箱に入れるシステムになっていたのに、駅員に切符を渡したと証言し、再び同駅から乗車する際には改札口の乗車駅証明書発行機のボタンを押してその証明書の交付を受けて乗車することになっていたのに、駅員から切符を購入したと証言するなど、現実に旅行に行った者なら間違えるはずのない事実について客観的事実と異なる証言をしているのであって、被告人の和歌山旅行に同行した旨の証言が虚偽であることは明白である。

被告人が、仮に四月二一日の夜御坊市近く(注、正確には和歌山県日高郡美浜町和田二一九三・検二一九、二二〇、符号三九)のホテル「グリーンヒル美浜」に、翌二二日夜海南市内(注、正確には和歌山県海南市山崎町二-一-八・検二二二、二二三、符号四〇)の旅館「菊水荘」にそれぞれ宿泊したとしても、被告人の旅行先が大阪府の南に隣接する和歌山県の北部であることに照らせば、同県内の北部に中核派の武器製造所としての非公然アジトがあり、被告人は、同アジトにおいて、本件犯行に使用した時限式発火物を受け取り、これを大阪市内に持ち込み、犯行の準備をした疑いが高いということができる。

3  実家への帰宅について

被告人は、四月二四日午後五時三〇分ころ前進社からI、Nと共にカローラで西宮の実家に向かい、午後七時ころ実家につき、Nを帰してIと二人で宿泊し、翌二五日午前八時ころ起床し、朝食が終わるか終わらないかのころ、テレビで放火事件のニュースを見て本件の発生を知り、その後の午前一〇時ころ、Iと共に前進社に戻った旨主張し、I及びO子(被告人の実母)は、ほぼこれに沿う証言をしている。

しかし、右I及びO子の各証言は、前記Gらの証言と同様、仲間内あるいは家族の証言であり信用できない。しかも、Iは、本件犯行を報道したテレビニュースを二五日午前九時ころに見た旨証言するが、関係証拠によれば、同日午前九時ころの本件放火や爆破事件を放映したテレビ局はない。また、同人は、二五日前進社に戻る時には前日と異なりR某が迎えに来た旨証言しているが、O子の証言と異なる上、前進社において中核派構成員として把握されているRは、四月二四日午後二時五分の大阪国際空港から飛行機で沖縄に向けて出発している。

三  当裁判所の判断

1  まず、アリバイ証人は検察官所論のとおり、いずれも被告人の仲間の中核派活動家あるいはそのシンパ、被告人の家族であって、直ちに信用し難い事情がある上、記憶内容が余りに詳細である部分と、記憶違いが混在している部分とがあり、不自然である。

2  特に被告人の和歌山旅行は疑問が多い。同旅行の期間中は、検察官主張のとおり中核派が組織を上げて天皇訪沖阻止闘争を展開し、Pら仲間が次々逮捕・勾留され、前記中核派非公然組織の最高幹部Qが急死し、富田林アジトが摘発された直後の時期で、そのような緊迫した時期に、被告人がのんびりと家族旅行に出掛けていたということ自体誠に不自然、不合理である。しかし、符号三九のホテル「グリーンヒル美浜」のS名義の宿泊者名義及び符号四〇の旅館「菊水荘」のM名義の宿帳の各名義は被告人の自筆と推察され、被告人が四月二一日夜に美浜町のホテル「グリーン美浜」に、翌二二日夜海南市の旅館「菊水荘」に宿泊した事実を覆すことは困難であり、そのような事実があったものと考えざるを得ない。検察官は、被告人の旅行先が大阪府の南に隣接する和歌山県の北部であることに照らせば、同県内の北部に中核派の武器製造所としての非公然アジトがあり、被告人は、同アジトにおいて、本件犯行に使用した時限式発火物を受け取り、これを大阪市内に持ち込み、犯行の準備をした疑いが高いと主張するが、推測も甚だしいというべきである。検察官は、後に検討する臭気選別の結果において大日堂事件の発火物の内部にも被告人の臭気が残っており、その前提では、被告人が時限式発火物の製作に関与したと考えるのが自然であり、両者矛盾する主張となる。被告の和歌山旅行には他の目的があったと推測せざるを得ない。

3  ところで、犯行時間帯に被告人の完全なアリバイが成立する時は、無罪は明白であるが、前検討によれば、被告人のアリバイ証拠には、信用できる内容も含まれ完全に虚偽と言い切れないものの、疑問も多い。結局、弁護人提示の各アリバイ証言及び被告人の同趣旨の公判供述あるいはそれに反する検察官の弾劾証拠をそれぞれ検討しただけで、被告人・弁護人主張のアリバイの存否を判断することは極めて困難であり、その結論は他の証拠による被告人の犯罪立証の程度如何にかかっているといえる。

検察官は、本件で被告人側が虚偽のアリバイを主張しているとして、同事実を被告人の本件犯行を積極的に裏付ける情況証拠と位置付けようとしている。しかし、仮にアリバイ主張が虚偽であっても、被告人がとりあえず嫌疑から逃れるため虚構のアリバイを主張することも考えられないわけではなく、アリバイの崩壊を犯罪立証のための積極的な証拠(同情況証拠)とすることはできない。

4  結局、被告人・弁護人の本件程度のアリバイの主張・立証及び検察官の反証では、被告人の本件犯行の成否を左右するほどの証拠価値はないといえる。

第七  警察犬による臭気選別結果の検討

一  右臭気選別結果の本裁判上の位置付け

これまで検討してきた結果では、滋賀アジトから押収された水溶紙等の文書類、本件各犯行に使用された時限式発火物の特徴及び三千院僧侶らの目撃証言等を個々に判断しても、また、これらの証拠を単純にあるいは有機的に総合しても、被告人を本件各犯行の犯人と認定することはできず、さらに、被告人・弁護人のアリバイ主張も被告人の無罪(有罪であることは勿論)の決め手となり得ないことが明らかである。そうすると、本件各公訴事実の存否は、各犯行現場に遺留された発火物及びその他の証拠物に被告人の臭気が存在したといえるか否か、すなわち、本件臭気選別結果の証拠能力又は証明力に懸かっているといえる。

二  最高裁判例及び本件臭気選別の基になった警察庁の「警察犬による物品選別実施要領」について

まず始めに、今後の検討のために、警察犬による臭気選別結果の証拠能力及び証明力に対する重要な最高裁判例及び本件臭気選別実施の基準とされた警察庁が各都道府県警察に昭和六一年一二月一一日付けで発した「警察犬による物品選別実施要領」(以下「選別実施要領」ともいう。第四〇回公判調書佐達修三の証言の末尾添付書類)の内容を明らかにしておく。

1  最高裁昭和六二年三月三日第一小法廷決定(刑集四一巻二号六〇頁)の要旨

警察犬による本件臭気選別の結果は、<1>右選別につき専門的な知識と経験を有する指導手が、<2>臭気選別能力が優れ選別時においても右能力のよく保持されている警察犬を使用して実施したものであり、<3>かつ、臭気の採取、保管の過程が適切であり、<4>選別の方法に不適切な点がない場合、これを有罪認定の用に供することができる、というものである。

2  前記警察庁の「警察犬による物品選別実施要領」の内容

別紙「警察犬による物品選別実施要領」のとおりである。

三  本件臭気選別の実施状況及び選別結果等

1  指導手の経歴、選別犬の能力及び選別現場の状況等

(1) 指導手竹本昌生の経歴や資格等

竹本証言及び警察官作成の捜査報告書(検九六七)によると、本件臭気選別を実施した竹本は、昭和二三年に警察犬の訓練士となり、昭和二五年にライトマン京都警察犬訓練所を開設して現在同所の所長をしており、同四二年から継続して京都府警との間で警察犬嘱託契約を結んでいる。その間昭和四八年には私的団体である社団法人日本犬協会から警察犬の訓練士としては最高位の一等訓練士正の資格を得ている。同人は、昭和四五年には、現在警察の犯罪捜査等に広く利用されている移行臭による臭気選別方法を考案している。

また、同人は、日本国内で頻繁に催されている各種の警察犬競技会で、同人が訓練した警察犬を率いて輝かしい成績を上げているほか、実際の犯罪捜査においても犯人検挙に繋がる成果を上げている。

したがって、竹本は、警察犬の訓練士としては、国内の第一人者と認められ、臭気選別の実施者として、必要な知識(学問的知識というより経験に基づく実務的な知識)と経験を十分有する指導手ということができる。

(2) 選別犬(使役犬)の能力等

本件の臭気選別に使用された警察犬は、竹本が繁殖して訓練してきた嘱託警察犬のマルコ・フォム・ライトマン(マルコ)とペッツオ・フォム・ライトマン(ペッツオ)であるところ、竹本証言及び警察官作成の捜査報告書(検九六八)等によると、その経歴等は次のとおりである。

なお、右警察犬は、いわゆる各都道府県警察が自ら所有し、鑑識課の警察犬係等が訓練し常時出動に備えて警察内の犬舎に飼われている直轄警察犬と異なり、竹本が民間の所有者から訓練を委託され、その後必要な検査に合格して、京都府警本部長との間で、毎年嘱託警察犬として嘱託されてきた犬である。

<1> マルコは、昭和六二年五月に竹本のライトマン京都警察犬訓練所で出生した血統書付きの雄のシェパードで、生まれて約六か月後から竹本が所有者の依頼でライトマン警察犬訓練所に引き取って訓練してきた犬である。

平成二年度から毎年竹本と京都府警の間で同警察の嘱託警察犬としての契約を結んでいる(なお、同契約は京都府警が毎年実施している嘱託犬検査に一度の誤持来もなく合格することが条件である。)。

この間、マルコは、平成元年、同三年、同四年には社団法人日本警察犬協会京都支部主催の京都チャンピオン決定競技大会の臭気選別部門で優勝している(しかし、マルコは、社団法人日本警察犬協会主催の全日本訓練チャンピオン決定競技会では余り捗々しい成績は上げていないようである。)。

また、本件までに多くの臭気選別経験を有し、竹本の証言では、実際の犯罪捜査で犯人の検挙及び逮捕された被疑者の無罪証明に成果を上げたということである。

マルコは、本件の各選別当時六歳で、竹本は、人間では四二歳前後の壮年に相当し、一般には最も臭気選別能力が発揮できる年齢である旨証言している。

<2> ペッツオも、昭和六二年一〇月に竹本のライトマン京都警察犬訓練所で出生した血統書付きの雄のシェパード犬で、生後間もなく竹本が所有者の依頼でライトマン京都警察犬訓練所に引き取って訓練している犬でもある。

平成三年度の京都府警の嘱託警察犬候補となり、翌年平成四年度から毎年竹本と京都府警の間で同警察の嘱託警察犬としての契約を結んでいる。その間、平成四年に社団法人日本警察犬協会主催の全日本訓練チャンピオン決定競技会で四位に入賞している。

ペッツオも臭気選別経験を有し、実際の犯罪捜査で成果を上げているということである。

ペッツオは、本件の各選別当時五歳で、竹本は、人間では壮年に相当し、これまた最も臭気選別能力が発揮できる年齢である旨証言している。

竹本は、いずれも自分の訓練犬の中でも特に臭気選別能力がすぐれ、本件各選別実施時、体調もすぐれ、選別意欲・選別能力がよく保持されており、およそ誤持来は一切考えられない旨証言している。

(3) 選別現場の状況

榊証言並びに警察官各作成の実況見分調書及び同調書の計測数値を一部訂正した捜査報告書(検三四一、三四三)によると、本件臭気選別は、いずれもライトマン京都警察犬訓練所付属施設である同訓練場内で実施された。

同所は、周囲は樹木が茂り、閑静な住宅地であり、普段の竹本の警察犬の訓練場である。

選別台の大きさ(大きさや距離の表示はいずれも約)は、幅一八センチメートル、長さ一メートル八〇センチメートル、高さ二二センチメートルで、台には直径二センチメートルの穴が三五センチメートル間隔で五個均等に空けてある。実験時には、選別台中央の穴から西側方向一〇メートルの地点が訓練士と犬の待機位置であり、同位置には原臭台を置いている。選別台の南側五五センチメートルに表示板が置かれ、その都度原臭、対照臭、誘惑臭等の位置を表示する。選別台中央の穴から九・六メートル東側に三脚に固定したカメラがあり、そこに府警の捜査官(補助者を含めて二名)が立って撮影するとともに、北東一一・二メートルに三脚に固定してビデオカメラが設置され、同じく府警の捜査官(同じく補助者を含めて二名)がビデオの撮影を行う。

鑑識補助者(対照臭を選別台に並べ変え、表示板を操作し、竹本に原臭を届けたりして本件選別を手伝う役目。概ね府警の鑑識課員が担当)は、犬の選別時においては、選別台中央の穴からほぼ南側五・二メートルの場所で待機し、記録係の榊その他の捜査官は、右選別台中央の穴からほぼ南東七・〇メートルで待機して観察している。なお、鑑識補助者を含めて選別に参加したり見学している捜査官の総数は一五名ないし二〇名程度である。これらの状況は、概略、別紙訓練場見取図のとおりである。

2  選別に使用した臭気について--臭気の採取、移行臭の作成・保管状況等

(1) 三千院事件の原臭の作成・保管等について

岩崎、澤森及び榊の各証言、警察官各作成の捜査報告書、写真撮影報告書、実況見分調書及び領置調書(検二ないし六、三四、三七、四〇、四八、四九、五三、三三七)によると、次の事実が認められる。

<1> 北東部の時限式発火物一個及び北西部の時限式発火物二個については、捜査官が、いずれも四月二五日に布製手袋を用いて各扁額の裏から取り出し、ダンボール箱に各別に入れて領置し、府警内に保管し、同月二七日捜査官が布製手袋をはめて、各時限式発火物全体を被っていた燃え残りのフェルト(燃えてすす状に変色しているものの、形はほとんど保存されている。)を一点づつ取り出し、各時限式発火物の実況見分後、これらフェルトを各別のビニール袋に入れて保管し、五月一八日、捜査員が手袋を付けピンセットを用いて(以下、移行臭の作成については、捜査官は手袋を付け、ピンセットを用いているので、この記載は省略することもある。)、無臭布各一八枚と共に二重のビニール袋に入れて密封して、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管した。<2>北東部の時限式発火物のフェルトと無臭布の入った分については、捜査官が、五月二八日一八枚の右無臭布(検察官は、フェルトに付着している臭気が移行していると考えている。そこで以下、この種の布を「移行臭」ということもある。)を取り出し、右フェルトの中に新しい無臭布一二枚を入れて二重のビニール袋に入れて密封し、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、六月一四日右一二枚の移行臭を取り出して二重のビニール袋に入れて密封し、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、後記六月二一日の臭気選別の直前にビニール袋を開封し、内移行臭六枚を同臭気選別に使用した。また、捜査官は、六月一四日移行臭一二枚を取り出した後、北東部のフェルトを新しい一八枚の無臭布と共に二重のビニール袋に入れて密封して、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、七月一六日右一八枚の移行臭布を取り出し、二重のビニール袋に入れて密封して、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、後記七月二六日の臭気選別の直前にビニール袋を開封し、移行臭一一枚を同臭気選別に使用した。

<3> 北西部上下の各時限式発火物の各フェルトと無臭布の入った分については、捜査官が、六月一四日一八枚の移行臭を取り出し、各別に二重のビニール袋に入れて密封して、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、後記八月九日の臭気選別の直前にビニール袋を開封し、移行臭各五枚を同臭気選別に使用した。

(2) 大日堂事件の原臭の作成・保管等について

榊証言、警察官各作成の捜査報告書、実況見分調書及び領置調書(検六七、七五ないし八一、八三、九三、九五、一〇四、一〇五、一一三、一一八、三三七)等によると、次の事実が認められる。

<1> 八月一一日、大日堂事件の時限式発火物が資材倉庫で発見された(一部通電して溶解している部分はあるものの、未発火につきほぼ完全な形。)。捜査官は発見現場で、手袋を付け、ピンセットを用い、同組成物を包んでいる黒色包装紙、白色厚紙、内部のプラスチックケース入りの時限部・アルミケース入りの発火部及びガソリン等の入ったペットボトルからできている引火部に分離し、各別に二重のビニール袋に入れて密封し、これらを別々のダンボール箱合計四個に入れて領置し、同日これを府警本部に搬入して保管した。

捜査官は、八月一二日右資材倉庫において、手袋を付け、ピンセットを用いて、目隠し棒二本をそれぞれ二重のビニール袋に各別に入れて採取し、それぞれ密封して領置し、同日これを府警本部に搬入して保管した。

<2> 捜査官は、八月一二日右黒色包装紙、白色厚紙、時限部・発火部及び目隠し棒二本を、それぞれ無臭布各三〇枚と共に二重のビニール袋に各別に入れて密封し、ダンボール箱に入れて府警本部に保管し、翌一三日中の留置物を抜き、移行臭各三〇枚を再び二重のビニール袋に各別に入れて密封し、同所に保管した。そして、八月二七日の臭気選別の直前に、右黒色包装紙、白色厚紙、時限部・発火部及び目隠し棒二本のうちの資材倉庫出入口からみて手前側(以下、同趣旨で目隠し棒二本について、手前、奥の記載で特定する。)の各移行臭各三〇枚の入った各ビニール袋を開封して、それぞれ五枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

残り、各二五枚の入ったビニール袋をそれぞれ密封して、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、九月二四日の臭気選別の直前に、右黒色包装紙及び目隠し棒奥の移行臭の入った各ビニール袋を開封して、それぞれ移行臭五枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<3> 捜査官は、一〇月三日大日堂資材倉庫において押し込み棒を発見して手袋を付けて押収し、直ちに同所で、押し込み棒の先端部及び元部の各端から約四〇センチメートルのところまでそれぞれビニール袋を被せ、各袋に無臭布一二枚を入れ、さらに、もう一枚ビニール袋を被せて二重にして密封し、大日堂境内で自動車内に置き、ヒーターで車内を三〇度ないし四〇度に維持して三〇分間放置後、留置物を抜き取り、残った移行臭各一二枚をビニール袋に入れて密封し、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、一一月二四日の臭気選別の直前に、各ビニール袋を開封して、それぞれ移行臭五枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

(3) 対照臭の作成・保管等について

<1> 五月三一日の臭気選別に使用した被告人の登山帽から作成した移行臭の作成・保管状況について、その詳細は必ずしも明らかでないが、関係証拠により次の事実は認めることができる。

滋賀県警が、平成三年九月二二日滋賀アジトから変装用具の一つとして被告人着用の本件登山帽を押収し(弁護人は、被告人の公務執行妨害罪が冤罪であり、また、右事件当日滋賀県警及び京都府警が合同で滋賀アジトで実施した捜索差押自体が違法・不当であるから、その際の押収証拠類及び右登山帽は違法収集証拠である旨主張するが、検二一六、二一七の各判決書謄本及び本件記録によれば、大津事件で被告人の有罪は最高裁に上告までして争われた結果確定し、争点の一つ、前提事実の公務の適法性も認められており、他の関係証拠に照らしても、滋賀アジトの捜索差押自体は格別違法、不当ではないといえるから、滋賀アジトから押収された証拠物は違法収集証拠ではないと認められる。)、これを京都府警が更に押収し、同物件から移行臭を作成した事実が認められる。なお、被告人が同帽子を着用していたことは、同年九月一三日滋賀アジ卜摘発以前に内偵中の警察官が現認している。同帽子からの移行臭の作成については、平成五年五月一八日同帽子と共に一八枚の無臭布をビニール袋に入れて密封し、府警本部内の金属製保管庫に入れて保管し、五月二八日登山帽だけを抜き取り、五月三一日の臭気選別の直前にビニール袋を開封して、移行臭一〇枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<2> 次に、榊、中川各証言及び警察官各作成の捜査報告書(検四二、四五、四七、五一、五二、五七、六七、三三七)によると、以下の事実が認められる。

ア 捜査官は、平成五年六月一九日三千院事件で前進社を捜索し、被告人が当時素足で履いていた合成皮革製の短靴を差し押さえた。捜査官は手袋を着用して右短靴を直ちにビニール袋に入れて下鴨警察署に持ち帰り、同所で、手袋を付けピンセットを用いて、短靴の片方ずつを無臭布各二四枚と共に各別の二重のビニール袋に入れてそれぞれ密封して同所に保管した。

イ 捜査官は、六月二一日の臭気選別の直前に、右側の短靴及び移行臭の入ったビニール袋を開封し、移行臭四枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

ウ 捜査官は、七月一四日左側の短靴及び移行臭の入ったビニール袋を開封し、短靴だけを抜き取り、同ビニール袋を再度密封し、七月二六日の臭気選別の直前に、そのビニール袋を開封し、移行臭一三枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

エ 捜査官は、七月一四日被告人の短靴の片方ずつを無臭布各二四枚と共に各別の二重のビニール袋に入れてそれぞれ密封して、下鴨警察署に保管した。

七月二一日各短靴だけをそれぞれ抜き取り、移行臭各二四枚だけを右二重のビニール袋に入れたまま再度密封して保管した。

捜査官は、八月九日の臭気選別の直前に、右側短靴の移行臭の入ったビニール袋を開封して、移行臭八枚を取り出し、同臭気選別に使用した。捜査官は、八月二七日の臭気選別の直前に、左側の短靴の移行臭の入ったビニール袋を開封して、移行臭一六枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

オ 捜査官は、八月一七日川端警察署で被告人の短靴の片方ずつを無臭布各二四枚と共に各別の二重のビニール袋に入れてそれぞれ密封した上、同警察署の庭に駐車し、車内温度を三〇度ないし三五度に維持した自動車内に一時間放置した後、それぞれのビニール袋を開封して各短靴だけをそれぞれ抜き取り、移行臭各二四枚だけを右二重のビニール袋に入れたまま再度密封して下鴨警察署に保管し、同月二七日府警本部内に保管替した。

捜査官は、九月二四日の臭気選別の直前に、右側短靴の移行臭の入ったビニール袋を開封して、移行臭八枚を取り出し、同臭気選別に使用し、残りの移行臭の入ったビニール袋を再度密封し、府警本部の金属製保管庫に入れて保管した。

捜査官は、一一月一四日の臭気選別の直前に、右各短靴の移行臭の入ったビニール袋を開封して、右側短靴の移行臭布八枚、左側短靴の移行臭四枚をそれぞれ取り出し、同臭気選別に使用した。

(4) 誘惑臭の作成・保管等について

榊証言及び警察官各作成の捜査報告書(検四六、五〇、五四、六四、七〇、一〇六、一〇七、一一四、三三七)によると、次の各事実が認められる。

<1> 捜査官は、平成五年五月二七日府警刑事部鑑識課員内立元昭他四名の冬服製帽を各別のそれぞれ無臭布一二枚と共にビニール袋に入れて保管し、三時間後各製帽を抜き取り、そのまま移行臭だけを保管し、五月三一日の臭気選別の直前に、右ビニール袋を開封して、移行臭合計四二枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<2> 捜査官は、六月一九日機動隊員佐藤正夫ら五名の各右足用短靴をそれぞれ別の無臭布各一八枚と共にビニール袋に入れて密封して保管し、同月二一日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計二六枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<3> 捜査官は、七月一九日機動隊員大石仁ら五名の各短靴をそれぞれ別の無臭布各七枚と共にビニール袋に入れて密封し、一時間加熱して靴を抜き取った後は移行臭の入った各ビニール袋をダンボール箱に入れて保管し、同月二六日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計二一枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<4> 捜査官は、八月五日機動隊員中林昭実ら四名の各短靴をそれぞれ無臭布各四〇枚と共に各別にビニール袋に入れて密封し、一時間加熱して靴を抜き取った後は移行臭の入った各ビニール袋をダンボール箱に入れて保管し、同月九日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計四二枚(なお、当日は右移行臭合計一〇九枚を使用)を取り出し、同臭気選別に使用した。

<5> 捜査官は、八月二三日機動隊員中林昭実ら四名の各短靴をそれぞれ無臭布各四〇枚と共に各別にビニール袋に入れて密封し、一時間加熱して靴を抜き取った後は、移行臭の入った各ビニール袋をダンボール箱に入れて保管し、同月二七日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計八四枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<6> 捜査官は、九月二二日機動隊員中林昭実ら五名の各短靴をそれぞれ無臭布各三五枚と共に各別にビニール袋に入れて密封し、五分間加熱して靴を抜き取った後は、移行臭の入った各ビニール袋を保管し、同月二四日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計六〇枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

<7> 捜査官は、一〇月二八日機動隊員中林昭実ら五名の各短靴をそれぞれ無臭布各三〇枚と共に各別にビニール袋に入れて密封し、五分間加熱して靴を抜き取った後は、移行臭の入った各ビニール袋を保管し、一一月四日の臭気選別の直前に、右各ビニール袋を開封して、移行臭合計六三枚を取り出し、同臭気選別に使用した。

(5) なお、佐達証言及び警察官作成の捜査報告書(検二九三)によれば、移行臭作成の際に使う無臭布は、府警本部庶務の方で晒木綿の反物を購入し、同鑑識課員が、これを大体一五センチメートル×二〇センチメートルに裁断し、約二時間洗濯機で水洗いして脱水し、日陰干しをして、その後ビニール袋に保管し、必要に応じて取り出して使用していた事実が認められる。

臭気(原臭、対照臭及びこれらの移行臭)の保管方法が適正であったことを確認するため、多くの検証的臭気選別が実施されている。その内容については後述する。

3  本件臭気選別の実施方法及び判定基準について

前示の選別実施要領を含めて榊、竹本及び佐達各証言並びに警察官作成の捜査報告書(検三九一)等を併せると、次の事実(なお、一部証言を引用する場合もある。)が認められる。

(1) 臭気選別の実施に当たっては、府警本部警備課又は所轄の警察署から府警本部の鑑識課に依頼があり、同課が窓口となって竹本と日程等の調整を行う。選別のプログラムの作成は、主として右警備課等と鑑識課で協議して行う。竹本は、原臭、対照臭として何を使用するか等の詳細は聞かないことにしている旨証言している。

(2) 本件各臭気選別では、まず竹本が前記ライトマン警察犬訓練所内の犬舎からマルコ又はペッツオを連れ出し、近接する訓練場までの間に排便をさせたりしながら当日の犬の体調を観察する。その後、訓練場で本選別を開始する前に予備選別を行い、犬の選別意欲、本選別能力がよく保持されていることを確認し、本選別を実施する。竹本は、右予備選別には犬のウォーミングアップ的な要素も含まれている旨の証言もしている。予備選別ではいわゆるゼロ選別は実施しない。予備選別で誤持来があれば、即刻選別を中止する。原則として、五回の予備選別のうち、三回正しい持来(したがって、二回の不持来は許される。)があれば、その時点で直ちに本選別に移行する。

各選別には立会人が立会い(立会人は多く消防士等の公務員であるが、警察関係者も混ざっている。)、選別前に各臭気の保存状態を確認したり、選別実施時においては現場で監視している。

(3) 本選別及び予備選別とも、次の方法による。

選別時の補助者、捜査官の配置等は前示のとおりである。

選別補助者のうち、選別台上に対照臭(以下、場合により「本臭」又は単に「本」ともいう。)を設置する鑑識課員は大体特定されており、同人が選別台の横に設置してある表示板を操作して対照臭や誘惑臭を並べる位置を決定し、その表示に従って他の鑑識課員と分担して順次選別台上にこれらの移行臭を配置する。選別台に配置する対照臭及び誘惑臭の配置場所は、手袋をした府警本部の鑑識課員等の選別補助者の判断により、ピンセットを使用して選別台上の五つの穴に適宜配置し、配置完了までの間、指導手及び警察犬は前記選別台から約一〇メートル離れた場所で待機し、移行臭の配置時は選別台に背を向けて立ち(警察犬の異なる行動については、後に検討する。)、選別台のどの穴に対照臭が配置されたか警察犬も指導手も知り得ない状況下で実施する(この点も後に検討する。)。

予備選別においては、当日の担当者が、配列が終わった段階で竹本のもとに原臭(この際は対照臭と同一)を届け、その後竹本の指示で選別を始める。本選別においては、選別の当初に予め竹本の下に原臭を届けて置き(竹本と警察犬の位置の横に原臭台が置かれてある。)、各選別の都度移行臭の配置がすんだ段階で、右担当者が竹本に対し、「お願いします。」などと声を掛け、配列が終わったことを知らせ、選別に移行する。

本選別に際しては、必ず最低一回は対照臭を配置しないゼロ選別を取り入れる。本選別の判定基準としては、ゼロ選別を含めて一回でも誤持来があれば、選別を中止する。五回ないし六回の各選別で三回以上対照臭を持来し、ゼロ選別を含めて四回以上正解がなければ、同臭性ありとしない。持来したと言うためには、犬が、くわえた移行臭を竹本の元まで確実に届けることが必要であり、竹本は、自分と犬との約束事として、犬が移行臭を自分の手元まで届けた場合、同所で犬と若干の引っ張り合いを行って同布を受け取ることになっている旨証言している。

選別結果は、榊がメモし、後日報告書を作成する。判定に迷うような場合は、鑑識課員及び竹本とも相談して決める。

その他、京都府警でも、ほぼ別紙選別実施要領に従って臭気選別を実施している。

(4) 本件臭気選別で臭気の保管等に使用したビニール袋のメーカー及びサイズ等は、検三九一添付の一覧表のとおりであるが、警察官作成の捜査報告書(検二九二)に記載のとおり、それぞれの選別において、「原臭布」「対照臭布」「誘惑臭布」にどのビニール袋が使われたかは明らかではない。したがって、同一選別で使用した「対照臭布」「誘惑臭布」を保管していたビニール袋のメーカーやサイズが異なっていた可能性は否定できない。

4  選別結果等

榊及び竹本の各証言、警察官作成の各捜査報告書(検四一、五〇、五四、五五、五八ないし六三、六八ないし七四、一〇七、一一〇、一一五、二五〇、二五二、二五三、二五九、二六四、二六九、二七二、二七八、二八一、二八六ないし二九〇、三三八、三四〇、三九八)、木下昌朗各作成の報告書(弁三七ないし五二)並びに押収してある各八ミリビデオカセットテープ(符号四一ないし五七(検二二八ないし二三六、二九五ないし三〇〇、三三四、三三五)、以下「ビデオ」という。)等によると、次の選別結果あるいは選別状況が認められる。

(1) 三千院事件及び大日堂事件の各現場遺留品又は現場から押収された証拠物から作成した移行臭と被告人に係わる押収物から作成した移行臭の選別結果(以下「A関係選別」ということもある。)等は、検二五〇の添付資料のとおりであり(同書証の写しを本判決に添付)、前掲各証拠の内容と一致している。

若干補足すると、同資料にまとめられた臭気選別状況は、以下のとおりである。

<1> 五月三一日の臭気選別について

使役犬はマルコ。本件と同じころ発生した仁和寺の放火事件に関して、現場遺留の時限式発火物の残存物のフェルト及び三千院北東部の時限式発火物のフェルトを原臭、滋賀アジトから押収した登山帽を対照臭、京都府警刑事部鑑識課員四名の冬服製帽を誘惑臭(ただし、以下、特に直付臭と断らないかぎり、いずれも移行臭を使用)。

<2> 六月二一日の臭気選別について

使役犬はマルコ。北東部の時限式発火物のフェルトを原臭、六月一九日被告人から押収した短靴(以下「被告人の短靴」という。)を対照臭、京都府警機動隊員(以下「機動隊員」という。)五名が履いていた各短靴を誘惑臭。ゼロ選別を二回含める。

<3> 七月二六日の臭気選別について

二種類あり。本件関係選別では、使役犬はペッツオ。三千院北東部の時限式発火物のフェルトを原臭、被告人の短靴を対照臭、機動隊員四名の短靴を誘惑臭。当日は、その他にマルコを使役犬として三千院事件で時限式発火物の押収に関与した捜査官、被告人の短靴の差押に関与した捜査官に関する実験的な臭気選別がなされている。

<4> 八月九日の臭気選別について

使役犬はマルコ。三千院北西部上下の時限式発火物のフェルトを各原臭、被告人の短靴を対照臭、機動隊員四名の短靴を誘惑臭。

以上が三千院事件に関するA関係選別である。

<5> 八月一八日の臭気選別は、模擬発火物による実験選別である。

<6> 八月二七日の臭気選別について

当日は初めマルコによる選別を考えていたが、同犬の体調が良くなく、予備選別でも不持来を繰り返したので急遽ペッツオを使用し、異例ではあるが、ペッツオに対し、予備選別の前に練習の意味を持つ選別を付加して行った後、通常の予備選別、本選別に移行。

大日堂で発見された角材下の時限式発火物を包んでいた外側の黒色包装紙(以下「黒色包装紙」ともいう。)、その内側の白色厚紙(以下「白色厚紙」ともいう。)、プラスチックケース入りの時限部・アルミケース入りの発火部(以下「時限部・発火部のケース」ともいう。)及び角材下の時限式発火物の目隠し棒の手前の一本をそれぞれ原臭、被告人の短靴を対照臭、機動隊員四名の短靴を誘惑臭。

<7> 九月二四日の臭気選別について

使役犬はマルコ。黒色包装紙及び角材下の時限式発火物の目隠し棒の奥の一本をそれぞれ原臭、被告人の短靴を対照臭、機動隊員五名の短靴を誘惑臭。

さらに、当日は大日堂事件の未発火の時限式発火物の横の垂木からの移行臭を原臭とした実験的選別(臭気が回りのものに移行しているか否かの確認)及び被告人の短靴を原臭、大日堂事件で時限式発火物の発見者であるD、息子のE、Sらの短靴を対照臭などとした実験的選別が行われている。

<8> 一一月四日の臭気選別について

使役犬はマルコ。大日堂事件の目隠し棒(手前)及び押し込み棒の一方の端(先端部)、他方の端(元部)をそれぞれ原臭、被告人の短靴を対照臭、機動隊員五名の短靴を誘惑臭。

以上<6>ないし<8>が大日堂事件に関するA関係選別である。

(2) 捜査官は、A関係選別の信用性を確認し、被告人・弁護人の批判に対する反証的な選別、その他の実験的な臭気選別を多数実施している。その状況を捜査官側で一覧表にまとめたのが検三三八の添付資料であり(同書証の写しも、本判決に添付する。)、前掲各証拠の内容と一致している。

若干補足するが、同資料でまとめられた臭気選別状況は、以下のとおりである(なお、後の検討の便宜のため、前節の各選別結果に続けて、通し番号とする。)

<9> 一一月一九日の臭気選別について

使役犬はマルコ。二種類あり。一つは、大日堂事件の黒色包装紙を原臭、同事件で未発火物の発見の関係したDの手掌部直付臭(手掌部を無臭布で擦って個人の臭気を直接移行して移行臭布を作成)を対照臭、機動隊員五名の直付臭を誘惑臭。他は、本件で原臭及び対照臭の保管が適正であったか否かの検証的臭気選別である。各別のビニール袋に入れ、同じダンボールに保管していた原臭及び対照臭間で臭気が移行しないか否かの実験である。

<10> 一二月一五日の臭気選別について

使役犬はマルコ。二種類あり。一つは、大日堂事件の黒色包装紙を原臭、同事件で未発火物の第一発見者Eの手掌部直付臭を対照臭、機動隊員四名の直付臭を誘惑臭。他は、原臭及び対照臭の保管が適正であったか否かの検証的臭気選別である。ビニール袋に入れ、同じダンボールに入れた原臭及び対照臭間で臭気が移行しないか否かの実験である。

<11> 一二月二二日の臭気選別について

使役犬はマルコ。前回の実験結果に疑問を持った捜査官側で再度同一の臭気選別を実施。

<12> 一二月二九日の臭気選別は、予備選別の段階でマルコが三回不持来を続け、体調不良にて中止。

<13> 平成六年一月一〇日の臭気選別について

使役犬はマルコ。同じく原臭及び対照臭の保管が適正であったか否かの検証的臭気選別である。ビニール袋に入れ、同じダンボールに入れた原臭及び対照臭で臭気が移行しないか否かの実験である。

<14> 平成七年一一月三〇日の臭気選別について

被告人・弁護人の後記濃度コントラス卜論に対する反証選別である。

使役犬はマルコ。機動隊員五名の肌着を使って、各肌着と無臭布との同封時間に差をつけて各移行臭を作成し、これらを、原臭、対照臭及び誘惑臭として各選別の都度、同封時間に差のある移行臭のうち五種類を選別台に置き、その中の一つを選んで原臭とし、犬が濃度の差で選別するか否かを実験。

(3) 捜査官は、滋賀アジトで被告人らと同室していた中核派活動家F子に対し、被告人との共犯の嫌疑を抱き、平成五年六月一九日同女のバックスキン靴を差し押さえて、その移行臭を対照臭として臭気選別を実施した。

使役犬はマルコ及びペッツオ。当初、マルコで実施しようとしたが、予備選別段階で不持来が続き、急遽ペッツオに変更。原臭は三千院事件の北東部のフェルト。誘惑臭は、警察の女性事務吏員四名の靴である。

この結果は、検三四〇の捜査報告書添付の一覧表にまとめてあり、本判決にその写しを添付する。

(なお、右選別は、後の検討の便宜上<15>とする。)

(4) 捜査官は、大日堂事件では、平成五年四月一九日から同月二五日の間に犯人が設置したと認められる時限式発火物が同年八月一一日発見され、その後同遺留物を使って臭気選別を実施したため、平成八年一二月一一日大日堂事件に関連して長期間放置した場合でも臭気が残存するかどうかを確認するための実験的選別を実施した。その方法は、大川が、同年四月二二日黒色和紙を一〇分間と三〇分間素手で揉むなどした手掌部の臭気を直付けした模擬発火物二個を、同年八月一二日までの間本件資材倉庫の角材の下に放置し、その後回収して、模擬発火物の包装紙を取り出してその移行臭を作成したものを原臭、大川警察官の短靴を対照臭、機動隊員五名の各短靴を誘惑臭として、臭気選別を実施した。使役犬はマルコ。マルコは、三回の予備選別では、いずれも対照臭を持来。その後本選別を実施した。一〇分間大川が把持したものについて、ゼロ選別一回を含めた五回の実験結果は、ゼロ選別では不持来、他の四回の内三回は対照臭を持来、一回は不持来であった。三〇分間大川が把持したものについて、ゼロ選別一回を含めた五回の実験結果は、ゼロ選別では不持来、他の四回は全て対照臭を持来した。

(なお、右選別は、後の検討の便宜上<16>とする。)

四  本件臭気選別の検討

1  検察官の主張

検察官は、以下のとおり、警察犬による適正な臭気選別により、本件各犯行現場に遺留された証拠物に被告人の臭気が残されていることが明らかになり、これにより被告人の本件犯行は十分に証明できた、と主張している。

(1) まず、三千院事件では、マルコ及びペッツオの二頭の警察犬を使い、いずれも犯行現場から発見された北東部の時限式発火物及び北西部の上下二個の時限式発火物の各フェルトと被告人の短靴との同臭性がそれぞれ認められた。特に、北東部の時限式発火物のフェルトと被告人の短靴については、マルコ及びペッツオの二頭の警察犬によって、同臭性が確認された。

大日堂事件についても、マルコ及びペッツオの二頭の警察犬を使い、いずれも犯行現場で発見された未発火の時限式発火物の外部黒色包装紙、白色厚紙、時限部・発火部、二本の目隠し棒、押し込み棒の両端部と被告人の短靴との同臭性がそれぞれ確認された。しかも、外部黒色包装紙及び目隠し棒(手前)と被告人の短靴については、マルコ及びペッツオの二頭の警察犬によって、それぞれ同臭性が確認された。

(2) 各臭気選別結果は、最高裁の判例に沿った実施結果であって十分信用できる。敷衍すると、

<1> 本件臭気選別の実施者は、警察犬の訓練士としては、国内の第一人者であると認められ、臭気選別の実施に必要な専門的知識と経験を十分有している指導手である。

<2> 本件臭気選別に使用された二頭の警察犬は、いずれも臭気選別能力に優れ、各選別時においても体調は良好で、その臭気選別能力及び選別意欲ともよく保持されていた。

<3> 本件臭気選別に使用した、原臭、対照臭及び誘惑臭とも、京都府警の警察官らが、いずれも手袋を付けピンセットを用いて、慎重に採取、保管した上、それらの移行臭を作成、保管しており、臭気の採取・保管の過程は適切であったと認められる。捜査官は、原臭及び対照臭の保管の適否を確認するため各種の検証的臭気選別を実施し、その結果、本件各臭気の保管が適正であったことが改めて確認されている。

<4> 本件臭気選別の方法は、適切であると認められる。

すべて警察犬の体調を確認して、予備選別を行って当日選別意欲、選別能力ともよく保持されていると確認した上で本選別を実施している。選別に当たっては、指導手や警察犬は選別台に背を向けて立ち、配列の結果を知り得ない状況下で実施し、本選別では必ず最低一回のゼロ選別を取り入れている。

(3) 三千院事件においては、火災に気付いた僧侶らが、小型消火器によって消火活動を行ったが、実験の結果、消火活動は、本件臭気選別結果に影響を及ぼさないことが明らかになっている。

(4) 大日堂事件において、現場に遺留されていた本件臭気選別の原臭とした証拠物の発見、押収が遅れたが、実験の結果、同証拠物とほぼ同じ期間、同じ場所に放置された物についても臭気選別が十分可能であることが明らかにされた。

(5) 被告人・弁護人は、警察犬の臭気選別に関し、<1>濃度コントラスト論、<2>指図・誘導論など独自の見解を主張して、本件臭気選別を批判するが、全く根拠のない誤った仮説といわざるを得ない。

濃度コントラスト論については、実験の結果、採用できないことが明らかになった。指図・誘導論についても、犬の嗅覚は、犬の感覚器官の中でも最も中枢をなす器官で、判断も原始的且つ容易なものであるから、犬があえて複雑な判断や比較的長期の記憶を必要とする指図・誘導により対照臭を選別しているとは考えられず、理由のないことは明らかである。

2  被告人・弁護人の本件臭気選別批判

弁護人は、本件臭気選別について、次のような多岐にわたる批判を行い、そして、本件臭気選別結果に関する証拠には証拠能力を欠くこと、少なくとも証明力が認められず、臭気選別が現行のような方法で続けられるとすれば、他に冤罪を産み出す危険性があり、およそ臭気選別結果を、刑事裁判の証拠から外すべきであると結論付けている。

なお、従前の裁判例では、証拠能力の有無について、<1>臭気・嗅覚についての科学的解明が不十分であること、<2>臭気の個別性(個人臭の存在)に疑問があること、<3>犬の迎合性、<4>選別結果に対する検証・追試が不可能であることなどの問題点が指摘されてきたが、抽象的議論に止まり、しかも、臭気・嗅覚に対する科学の未発達段階の議論で歴史的限界があった。その結果、証拠能力を肯定するものが多く、補強証拠の限度ではその証明力を認めるものもあったが、少なくとも、臭気選別結果だけで、被告人と犯人との同一性を認定した裁判例は今なお存在しない、と主張している。

(1) まず、前掲昭和六二年三月三日第一小法廷の臭気選別結果に対する証拠能力付与の基準は、あまりにも抽象的すぎて、基準としての機能を果たし得ない。しかし、同決定によっても、臭気選別結果の証拠が常に証拠として適格性を認められるわけでもなく、具体的事案によって、臭気選別の正確性、信頼性の情況的保障を著しく欠いているような場合には証拠能力自体を否定し、その情況保障が十分でない場合には、証明力が乏しいとして、有罪認定の証拠にしないことが必要である。

(2) 犬による臭気選別の原理的な問題点について

<1> 臭気の個別性・個人臭について

そもそも、臭気選別は、「個人臭」の存在を前提とするところ、一九九〇年代以降の臭気、嗅覚等の科学の研究成果によれば、人間の体臭の臭い分子は大半が脂肪酸から成る点で共通しており、「特定の人にのみ存在する脂肪酸」なるものは存在せず、その構成比率及び濃度に程度差があるにすぎないこと、しかも、体臭は、それだけでは存在しえず、常にたばこ、酒、香水などの外部臭との混合臭としてのみ存在することが明らかになっている。

<2> 犬の嗅覚の能力について

警察関係の解説書などに、犬の嗅覚は人の数千倍、脂肪酸に対する識別力は一〇〇万倍と発表し、裁判例でも、犬の嗅覚を人の三〇〇〇倍ないし六〇〇〇倍などと判示したものがあるが、これは、すべて一九六〇年に発表されたノイハウスの実験データを前提にするところ、ノイハウスの実験データは、酢酸、酪酸(以上二つは脂肪酸)、エチルメルカプタン、αヨノンの四物質にとどまる。しかも、哺乳類の嗅覚は、臭いの存在の検知、臭いの識別、臭いの意味の認知の三段階においてなされるものであるところ、ノイハウスの実験データは、臭いの存在の検知に関する閾値データにすぎず、識別能力や認知能力に関するデータではない。臭気選別は、犬の嗅覚が鋭いという「イヌ神話」と、人の体臭が万人不同で終生不変という「個人臭」の虚構によって支えられている。しかし、犬の嗅覚の鋭さは、人と変わらない、人より劣っているという実験結果さえ発表されている。竹本は、犬の嗅覚が特殊に鋭いという根拠に鋤鼻器(ヤコブソン器官)を挙げるが、哺乳動物では、鋤鼻器は嗅覚器官ではない、という研究がなされている。また、個人臭なる概念は科学的に認められていない。竹本は、自らの著書の中で、「個人臭」が存在する根拠として、犬が一卵性双生児を識別できたことを掲げているが、その実験結果は相当に怪しい。

<3> 犬の迎合性……「クレバー・ハンス」現象

「クレバー・ハンス」現象において重要なことは、a実験者の意識的のみならず、無意識的な行動も、動物に対する合図となってしまう、b飼い主や訓練者など親しい者に限らず、観客や聴衆など初めて出会った者の動作や表情からも動物は影響を受ける、という点である。

「クレバー・ハンス」現象を回避するために、動物実験においては、動物行動学の標準的教科書である「行動研究入門」(弁二二)によれば、次のような三つの原則が重要とされる。a適当な対照をとること、b交絡要因を無作為化すること、特に重要な交絡要因として、「実験者効果」が挙げられる。「実験者効果」を排除するためには、実験操作を自動化することが最近の動物実験の傾向となっている。c「目隠し検査」を実施すること、それを徹底させるためには、実験者は答えを知らないこと、実験者と動物とを隔離すること、実験結果の記録者や統計分析者も答えを知らないことが必要である。

臭気選別の条件として、警察犬の選別能力が高いことが必要とされてきたが、選別能力は、単に選別結果のみで評価されてはならない。臭いに対して選別しているのではなく、「クレバー・ハンス」現象により、すなわち臭い以外の周囲の情報から選別したことによって「優秀な選別結果」をおさめている危険がある。したがって、警察犬の訓練過程--何時、何処で、誰から、どのような方法により訓練を受けたか、訓練成績、事件選別実績など--を詳細に記録に留め、これら資料の開示が必要である。

(3) 本件臭気選別固有の問題点などについて

<1> 指導手竹本の実績・信用性について

竹本は、過去の裁判で、同人が行った臭気選別結果の証拠能力を否定されている。同人の当公判における「判定不能」と「同臭性なし」との区別基準に関する証言は混迷を極めており、極めて恣意的である。竹本は、マルコ及びペッツオを訓練してきた人物であるが、訓練過程で臭気濃度の差異によって対照臭を選別させる訓練方法については明らかにしているものの、臭気の同一性によって選別させる方法については「営業上の秘密」として何ら明らかにしない、むしろ説明できない状態である。

<2> 選別犬の能力について

マルコは、前記日本警察犬協会主催の全日本嘱託犬競技会の選別部門に平成七年、同八年に参加しながら、両方とも早い段階で敗退している。マルコよりも能力が劣るペッツオは、両大会に参加すらしていない。しかも、マルコもペッツオも、他人が臭気選別に使用できる犬ではなく、竹本以外が指導手をした場合には選別能力を発揮できない犬である。本件選別犬は、この程度の選別能力しかないものである。

<3> 選別方法について

まず、本件選別の手本となった前掲「警察犬による物品選別実施要領」(選別実施要領)には、次のような問題点や配慮に欠ける面がある。

ア 警察犬指導者等について

指導者はもとより、補助者、立会人等選別に関与するすべての者が答えを知らないことという目隠し検査の基本原則に全く無関心である。

イ 使用臭気について

臭気の濃度に対する配慮が一切欠如している。

移行臭については同封期間や同封温度により、直付臭については直付時間や付ける時の強度により濃度差が生じてしまい、濃度差による誤った選別が行われる恐れがある。また、臭気の採取部位の同一性は、対照臭と誘惑臭との間だけではなく、その部位が判明し得る限り原臭を含め三者の間で維持される必要がある。

ウ 位置及び姿勢について

選別台への物品配列状況に関する視覚情報を遮断するためには衝立で仕切るなどすべきである。

エ 実施回数について

三回では統計学的に有為の判断は不可能である。

オ 予備選別について

予備選別の方法が明記されていない。本選別と同じにすべきである。

カ 「クレバー・ハンス」現象の対策について

「クレバー・ハンス」現象の指摘は、指導手の意図的行動よりも無意識行動が、更には指導手の存在そのものが、選別に影響を与える危険性に意味がある。したがって、その点の配慮が必要であり、あらゆる無意識的行動を禁止すべきである。また、指導手に限らず、補助者、立会人、カメラマン、ビデオ撮影などについても注意すべきである。

キ ビデオ撮影について

一方向からだけのビデオ撮影や一時中断を伴うビデオ撮影では客観性や信頼性を確保できない。

ク 遺留品等の取扱いについて

臭気の混合を防止するために、手袋は本件で使用された布製ではだめで、ゴム又はビニール製を使用するとともに、各遺留品ごとに新しいピンセットを使用すべきである。臭気の混入を防止するためには、臭気の種類ごとに各別の専用保管庫で保存すべきである。

選別実施要領自体に右のような問題点がある上、本件選別は、以下の点で同要領にすら違反している。

a 位置及び姿勢について

要領では、警察犬の位置及び姿勢は、出発点において選別台に対して、「背面姿勢で待機」すべきものとされているのに、本件では、ほとんどの選別において、選別犬は、臭布配置中に後ろを振り返るいわゆる「カンニング」を行っている。

b 実施回数について

選別実施要領では、本選別の実施回数は三回とされているのに、本件では五回が基本とされている。

c 遺留品の取扱いについて

選別実施要領では、手袋を着用し、かつピンセット類を使用すべきとされているのに、本件では手袋又はピンセットで足る取扱いがなされている。

(4) 濃度コントラストによる選別がなされているとの主張(以下「濃度コントラスト論」ともいう。)

<1> 定義等

選別台に並べる五つの布のうち、一つだけ他の四つと濃度が異なるようにすると、その布を犬に持来させることができる。この場合、犬は、初めに嗅ぐ原臭の臭いとの比較・同定を行っておらず、それに人の臭気が含まれるかどうか関係がない。逆に何も持来させたくないときは、五つとも同じ濃度にすればよい。このような仕組みによって、犬の選別を思うとおりに操作できる。結論的に全選別を通じて、濃度コントラスト論こそ真に犬の選別の手掛かりになっている最大要因であるといえる。

<2> 各選別の濃度規定要因

別紙「全選別の濃度規定要因の対照表」(本判決に添付)から、捜査官が持来を目的とする選別には、対照臭と誘惑臭の間に濃度差を付けていることは明白である。濃度の違い(濃度コントラスト)は、次のような諸方法で生ずる。

ア 臭いの採取対象物に最初から濃度の差がある。

イ 移行臭作成のための同封期間(+温度)に差がある。

ウ 手掌部臭(直付臭)作成の際の擦り付け方、回数、時間に差がある。

エ 臭気を保管したビニール袋の大きさ・規格(メーカーもか)の違い

今日の科学では、臭さの強さ(濃度)は、a揮発性、b拡散速度、c呼吸流の方向・速度・容積、d有香物質の温度によって決定されることが分かっており、客観的測定の試みもなされ、視覚化する方法、定量にまで進みつつある。

<3> 犬が濃度コントラストで選別している根拠

ア A関係選別では歴然としており、前掲<2>の選別では、対照臭(以下「対」ともいう。)と誘惑臭(以下「誘」ともいう。)の同封期間は同じであるが、対のAの靴はほとんど素足で履いているから濃度は濃い。各予備選別や前掲<14>の選別では、濃度コントラスト論が当てはまらないかのようであるが、これらは、原と対が同じ採取対象物品から作成されており、人の臭い以外に衣服の臭い(外部から付着した埃、汚れ、クリーニングや保存薬品の臭い、香水・整髪料・化粧品の臭いを含む。)が同質、同程度付いており、つまり原と対には同じ外部臭が付いているから、犬は濃度差に頼らないで、はるかに容易な外部臭で選別できたのである。ゼロ選別は、選別台に並んだ五つの対照臭、誘惑臭の間に濃度差はなく、しかも五つとも同種の臭気を使っており、犬がその一つだけを選べないようになっている。その他の選別でも、濃度コントラスト論(濃度コントラスト論で説明し難い場合は、他の明確な区別要因がある。)に矛盾は出ない。

イ そもそも本件五者択一の選択方法が、問題の根底にあるといえる。

本来科学的実験では臭いの質の同定は二者択一で行われ、場合によっては一点ずつ呈示して独立に原と同じかどうかの反応を動物に求める一点試験法が採用されるべきであるが、これでさえ臭いの質の感知の確認は不可能である。五者択一では、五つのものを比較して、一つだけ異なったものを持来した可能性を、排除できず、原と比較対象して対を選んだとしても、得られるのは相対的判断にすぎない。

犬の記憶能力の問題もある。科学的実験結果によると、普通の動物なら、せいぜい一〇秒が限度、猿で三分、チンパンジーで一時間から二時間という。また、別のデータによれば、ハトは一〇秒、猿は最大七〇秒、犬はその中間位と報告されている。検察官の主張どおり、犬が原と対を同定しているとすれば、初めて呈示された原臭を、一〇秒から三〇秒ほどの選別時間の間、他の臭いを嗅ぎながら覚え続けていなければならない。犬の出発点から選別台までの距離は、一〇メートル、選別台の長さは一八二センチメートルとなっている。その上に穴が五つ開いているのであるから、穴と穴の距離は約三〇センチメートルとなる。このような仕組みで、犬は、その度ごとに、新しい原を嗅がされて記憶し、数十秒間その記憶を保持し、その間に次々と新しい臭いを嗅いで比較・同定して混同せずに、その内の一つを原と同じものと確認することは、極めて困難である。それよりも、横に並んだ五つのものを短時間で次々と比較して、一つだけ濃度が異なったものを選ぶ方がずっと容易である。特別の措置を採らないかぎり、実際にはこの方法で選別してしまう。

このことは、以下の閾値論からも証明できる。

閾値とは、生体の「感覚受容器の興奮を起こさせるのに必要な最低の刺激量である。臭覚には三種の閾値がある。a検知閾(刺激閾ともいう。)、何の臭いか分からないが、何か臭いがあると感ずる最低の濃度、b認知閾、何の臭いかが分かる最低の濃度、c弁別閾、臭いの強さの差異を感知することができる濃度の最低の変化量。検知閾は、認知閾よりもずっと低い濃度で、弁別閾は、それより更に小さな濃度差で成立する。感覚器官は刺激の絶対的な性質よりもむしろ変化あるいは刺激間の相対的な関係に対して敏感である。何の臭いか、誰の臭いかなどを判断する認知閾よりも、ずっと感知し易い弁別閾による濃度の違いに犬は反応する。始末の悪いことに、人間は犬と意思疎通ができず、犬が選別した根拠を直接確認できないため、臭いの同一性、類似性の次のような認識レベルを区別することができない。a全く同じ、b非常によく似ている、cある程度よく似ている、d共通の項目が含まれている、e全部異なっている等

更に本件では、犬の習性に合わせて対照臭(本)の配置は極めて意図的に並べられている。A選別のうち、一周回(ゼロ選別を含めて約五、六回の選別を実施)の中の数回の本選別のうち、本の位置は全て変えており、回を追うごとに選択の範囲は狭くなり、選別は容易になる。検察官は、犬が嗅ぎ始めて一つ目の布をくわえて、そのまま持来する場合があり、濃度コントラスト論に対する反論としているが、周回の第一回目の選別で初めに嗅いだ布をそのまま持来したケースはない。周回の一回目で本をどういう手掛かりででも選別させれば、二回目以降の選別では、一回目と同じ水準の対、誘が並ぶから、どこに配置しようと濃度コントラスト論で選別できる。しかも、ビデオに撮影されている各選別を子細に観察しても、犬が本を最初からくわえたケースは一度もない。

ウ 竹本の訓練方法にも問題がある。

竹本は公判廷で初期の訓練段階と弁解しているものの、竹本の著書「首輪をつけた捜査官」(弁五三)「犬の訓練百科」(弁五五)等によると、訓練過程で、対と誘の濃度を変える濃度コントラスト、対と誘の布に大小の区別を付ける視覚による選別、布を差し込む強さに差を付ける圧感・運動感覚による選別方法を取り入れている。しかも、同訓練から原と対の臭いを同定させる訓練過程、方法については遂に説明し得ない。昭和五〇年度の日本訓練チャンピオン競技会の選別部門優勝者森脇和雄の著書「犬の訓練ガイド(下)」では、臭気の濃度は、できるだけ平均した強さで付着するようにしないと、将来臭いの強弱で選別する癖がつきやすい、と警告している。

<4> 検察官主張の反証選別に対する批判

ア 平成七年一一月三〇日の臭気選別について(前掲<14>)

この選別は、濃度コントラスト論に対する反証たりえない。同選別では、「一つだけ」濃度が違うとせずに、五つとも同封期間(濃度)をばらばらにしている。濃度コントラスト論というのは、五つ並んだ物品(移行臭)のうち、一つだけ濃度が異なっていると、誤った選別が起こることを指すものである。同選別で犬が対(本)を持来する仕組みは、すでに述べたように外部臭を手掛かりにしたものである。また、この反証選別では、それまでと異なり、本選別においても、対照臭配置者の島本が選別の度に原臭を竹本の許に届けている。マルコは、この選別でも配置中にしょっちゅう後ろを振り返るカンニングをしている。

イ 平成八年一二月一一日の臭気選別について(前掲<16>)

この実験は、八月二七日の選別の正しさを担保する実験(模擬)選別であるが、条件設定が余りに異なっており、意味のない実験である。しかも、濃度コントラスト論でいえば、むしろ、その主張を裏付けている。捜査官は、この実験で仮想犯人の靴を使って対照臭を作る際に、七日間同封のものと、一時間同封のもの二種類を作りながら、選別には七時間同封のものだけを使っている。一時間同封した誘惑臭とは明らかに濃度コントラストがある。犬は濃度コントラストを手掛かりに原と対の臭いが関係あろうとなかろうと、原に犬がかぎとれるだけの臭いがあろうとなかろうと、関係なく対を持来しているのである。

(5) 指図・誘導により選別がなされているとの主張(以下「指図・誘導論」ともいう。)

<1> 定義等

a指導手が、選別台上の正解(対照臭)の配置場所を予め知っており、あるいは移行臭を配置する補助者らの態度等によりこれを認知して、犬に対照臭の持来を指図し、あるいは犬がくわえた移行臭が対照臭であるかどうか誘導する、b移行臭を配置する補助者が、その配置の方法により、対照臭の布の大きさのみを変えるなどして指図・誘導する、c犬が、あたかもクレバー・ハンスのごとく、対照臭の配置場所を知っている配付補助者、写真撮影やビデオ撮影の担当者、又は周囲の見学者の意識的・無意識的態度により、配置場所を認知して対照臭を持来するというものである。

<2> 竹本の手の動きによる指図・誘導

各選別状況を撮影したビデオを観察すると、竹本は、犬が持来目的の対照臭をくわえあげた時には、必ず原臭の収納行動を取り、誘惑臭もしくは不持来とすべき対照臭をくわえ上げたときには、そのような行動は採っていない。

これは、明らかに、竹本が、予め犬のくわえ上げたものを持来目的のものか否か知っていることの証である。竹本の行動には理由がある。持来したときは、その布で犬と引っ張り合いをする必要があり、原臭を必ず収納しておかなければならない。逆に不持来又は間違った布をくわえ、落とした時には、原臭を犬に与えて再確認する必要がある。竹本の反応は、犬の行動を見て、持来するか否か判断して手を動かしているものではないことは、行動の早さから明らかである。竹本は公判廷で、当初「犬の首の振り方」や「足の運び」で犬のくわえ上げた物が本か否か分かると証言していたが、その後竹本自身にビデオを示しながら確認したところ、「犬の首の振り方」や「足の運び」だけでは正解か否か確認できなかった。竹本が予め、犬のくわえ上げたものを持来を目的としているか否かを知っていることは明らかである。

ビデオを分析した結果、竹本は、犬が誘惑臭又は不持来目的の対照臭をくわえた時は、一度も手を上げず、収納行動も採らない。竹本が例外的な動作であいまいな収納行動を採った時に、犬は竹本の合図の意味を理解できず、迷ったり失敗することがあるが、竹本が行動を修正して、明瞭な行動を採ったときに、犬は迷いや遅れを打ち切って行動する。

竹本が答えを知り得る可能性は、ビデオの画像から明らかなように、竹本は、各選別の始めに、立会人らがビニール袋を開封している近くに行っている。

次にどのような原臭、対照臭、誘惑臭を用いて選別をやるかを知り得る状況にある。

その他、竹本が持来すべき対照臭の配置を知り得る方法は、カメラのシャッター音や補助者の配列、竹本に「お願いします」と声を掛ける位置などから幾らでも可能である。

<3> 犬が前記選別要領に反してカンニングしていることは前記のとおりである。この際、犬が配列を直接見るだけでなく、補助者を含めた捜査官から何らかの示唆を受けている可能性も否定できない。

<4> ビデオを観察すると、配置者が持来目的の対照臭をセットする時と誘惑臭布をセットする時でやり方が違う場合がある。その端的な例が六月二一日の臭気選別である(前掲<2>)。臭布をよく広げて、浅く緩やかになるように差し込み、また見た目の布の面積が大きくなるようにしている。

<5> 指図・誘導論は、前記竹本の犬の訓練方法からも十分理解できる。

(6) 外部臭の違いによって選別がなされているとの主張(以下「外部臭論」ともいう。)

<1> 定義等

現場遺留品にはもともと「人」の臭い(そもそも個人臭があるか否かが疑わしい。)以外に化粧品、食料品、日用品等の様々な臭いが付着している。この人の臭い以外の臭いが外部臭である。選別にあたり、各誘惑臭だけに共通の外部臭を付着させれば、犬は対照臭と誘惑臭を比較し、その外部臭が異なる一つだけを選別する可能性がある。また、原臭と対照臭に同じ外部臭を付着させれば、その外部臭を手掛かりに対照臭を選別することになる。特定の外部臭を付着させることは、臭気採取対象(例えば、誘惑臭採取対象を共通の生活臭等を持つものにする。)、臭気採取方法(例えば、対照臭布、誘惑臭布を作成する際に使用するビニール袋を別々の規格のものにする。)、臭気保管方法(例えば、誘惑臭布のみ同じダンボール、ロッカーに保管する。)を操作することにより容易に行える。

<2> 本件の外部臭について

本件選別に使われた誘惑臭は、全て共通の外部臭を持つものから作成されている。

A関係選別のうち、五月三一日の二回の本選別(前掲<1>)では、誘惑物品をいずれも府警の鑑識課員の冬用制帽とし、他の選別においては機動隊員の短靴としている。このように、対象者が同じ職業についていれば、共通の職業臭や環境臭(摂取食物や職業場所が同じで、同物品の保管場所も同じ可能性がある。)が同物品に付着しているものと考えられる。そもそも、同物品の材質等が同じ、同じ靴クリームを使用していることも考えられる。

<3> 本件における臭気作成・選別等の問題点

ア 平成五年四月二七日の実況見分時には、捜査官が薄い木綿製の手袋しか付けず、三千院遺留品三点を四時間もいじっている。

イ 三千院遺留品三点、登山帽等の移行臭作成の際、原物品どおし、対照物品どおしはピンセットを替えずに原臭、対照臭を作成している。

ウ 原臭と対照臭の作成を同じ担当者が行っている(前掲<1>、<5>)。

エ 移行臭作成の間ピンセットを汗と脂が染み込んだ下鴨署の道場の畳の上においている。

<4> 使用ビニール袋の問題について

臭気選別において、遺留品・物品の保管、臭気の作成などにビニール袋が使われる。これは、臭気を保存するとともに、物品や白布(無臭布)に他の臭気が混じらないようにするためである。しかし、ビニール袋自体に含まれる脂肪酸が溶けて物品や白布につき、選別結果に影響を与える可能性がある。その脂肪酸の種類、濃度はビニール袋の規格等によって異なる。したがって、移行臭作成に使われるビニール袋は同一サイズ、同一規格、同一メーカーのものを使用する必要がある。しかし、本件選別では、数種類のビニール袋が使用されているのに、担当者自身細かく把握していない。

<5> 臭気保管方法の問題

本件遺留品や作成された移行臭が古いダンボールに入れられていたり、警察のロッカーに入れられたりしており、臭気の保管方法が極めて杜撰であり、移行臭間で共通の外部臭がついている可能性がある。

<6> 外部臭論は、前記竹本の犬の訓練方法からも十分理解できる。

(7) 本件現場遺留品に人の臭気が残っていることの疑問

<1> 三千院事件の現場遺留品(時限式発火物)

三千院事件の現場遺留品のうち、時限式発火物を包んでいたフェルト(地)が原臭に使われている。しかし、同発火物自体、岩崎は「全体が黒く焦げていた」「手で触ると原型を止めない状態」であった旨証言し、炭化した状態(検二、三)であり、完全燃焼している。本件時限式発火物にはテルミットが使われていたが、その発熱温度は約三〇〇〇度とされており、右遺留品が燃えている以上、焼けた際少なくとも同温度に達していたと思われるが、これだけの高温の下では、仮にフェルトに人の臭いがついていたとしても、その実体である脂肪酸は完全に分解、蒸発してしまい、人の臭いが残存していることはない。

検察官は、前掲<5>の八月一八日の模擬発火物を使ったシミュレーション実験により、本件三千院事件の遺留品にも臭気が残存していた旨主張している。しかし、右実験では、発火から消火までの時間が二秒、五秒、八秒と極めて短い。これは、発火物の威力実験で独立燃焼するのに約二分間かかったというのと比べても短かすぎる時間である。実際には、更に発火から消火までには長い時間掛かり燃焼は進んでいたと認められ、同実験を持って、本件現場遺留品に臭気が残存していたとすることはできない。

<2> 大日堂事件の現場遺留品

大日堂事件の現場遺留品についても、事件当時、現場の資材倉庫に扉はなく、屋根からは雨漏りがして風雨に吹き曝しの状態であった。そのため、同倉庫の地面には水がたまり、雨の度に濡れたり、乾いたりであり、枯れ葉、ゴミ等も積もっている状態であった。このような状態で約四か月も経っているのに、同現場遣留品に人の臭いが残存しているはずがない。

検察官は、前掲<16>の平成八年一二月一一日の臭気選別実験により、現場遺留品が発見されるまでの時間の経過は本件選別に影響しない旨主張している。しかし、右実験時には、資材倉庫の入口全部にべニヤ板が張りつけてあり、その結果雨が降り込まない状態であった。実際、右実験において放置された黒色和紙を取り出したときは、床面は乾燥し、黒色和紙も乾いた状態であった。資材倉庫の通風、流水状況が異なっており、このような実験結果をもって、本件現場遺留品に人の臭気が残っていた証左とすることはできない。

3  当裁判所の判断

(1) 序論

当裁判所は、以下のとおり、当事者の主張を踏まえながら前掲最高裁判例を参考にし、本件証拠を検討した結果、被告人・弁護人主張のとおり、臭気選別にはそれ自体に内在する問題があり、本件臭気選別固有の問題点も存在し、関係各証拠(警察官作成の捜査報告書(検四一、五〇、五五、六三、六八ないし七四、一〇七、一一〇、一一五、二五〇、二五二、二五三、二五九、二六四、二六九、二七二、二七七、二七八、二八六、三三八、三四〇、三九八)並びに公判廷における臭気選別結果に言及した榊及び竹本の各証言部分、以下、用語上他と混同のおそれがない範囲で総合して「本件臭気選別結果」又は単に「臭気選別結果」という。)については、証拠能力まで否定することは相当でないが(前掲被告人・弁護人の証拠排除の申立ては却下する。)、証明力は当然低いと考えざるを得ず、本件で被告人の有罪認定の決め手や有力な証拠とすることは出来ないと判断した。

(2) 本件臭気選別結果の不自然性について

<1> 本件A関係選別では一度の誤持来もないだけでなく、ほとんど完璧な選別が行われている。しかも、別紙写し添付の検二五〇の一覧表を見てみると、ほとんどマルコもペッツオも予備選別の段階では五回の選別のうち二回の不持来を繰り返し、辛うじて本選別に移行しながら、本選別では突如極めて高い正解率を上げている。竹本は、予備選別には犬のウオーミングアップ的な意味もあると主張するが、わずかなウオーミングアップでこのような成果が上がるのも不自然である。本選別には毎回ゼロ選別が含まれており、より困難な選別であるのに結果は逆である。さらに、不思議なことは、八月二七日の選別(<6>の選別)では、大日堂事件での初めての重要な選別で、当初マルコを選別犬として準備を行ったが、マルコが予備選別に合格しなかった結果、急遽ペッツオを引出し選別を行わせている。しかし、この時の予備選別ではペッツオは誤持来はもとより一回の不持来もない。この時はペッツオは本選別でも完璧である。竹本の証言によると、この際予備選別の前に練習的な選別も行ったが、そこでも不持来はなかったというものである。

なお、選別実施要領によると、「本選別は、予備選別においてすべてが正解であった警察犬を使役して実施すること。」(第三の8)になっており、前記のとおりA関係選別のほとんどで右要領に反する本選別が実施されているおそれがある。もっとも、不持来は回数に入れないとの解釈のようであるが、選別実施要領の文章からは若干疑問である。

<2> 三千院事件の現場遺留品に対する選別結果について

同現場遺留品のうち、時限式発火物を包んでいた各フェルト(地)が原臭に使われていることは前記のとおりであり、右フェルトが燃焼の過程で非常な高温に曝され、仮にフェルトに人の臭いが付いていたとしても、その実体である脂肪酸が分解したり、蒸発してしまっているのではないかとの弁護人の指摘がある。

これについても、検二五〇の一覧表から明らかなように、ほぼ完全な臭気選別結果が出ているところである。

<5>の模擬発火物を使ったシミュレーション実験だけでは十分納得できない。もともと、検察官の主張は、同実験選別は、消火器を使った消火活動が臭気選別結果に影響を及ぼさないことを確認するためのものであり、高温・燃焼した物品になお犬が選別できるほどの臭気(脂肪酸)が残存しているか否かを判別する実験ではなかったはずである。検五八ないし六一の各捜査報告書によると、右実験においては、発火から消火までの時間が二秒、五秒、八秒と極めて短い。しかるにC証言、検一の捜査報告書及び検三の実況見分調書によると、実際の事件現場では、発火から消火まで相当な時間(少なくとも数分間)経過しており、火はかなりの勢いで広がっており、炭化測定でも北東部では板壁に穴が開くほど燃焼が進んでおり、発火物自体の燃焼度も実験とは相当異なっていると認められる。

<3> 大日堂事件の現場遺留品に対する選別結果について

ア 関係証拠によると、被告人・弁護人所論のとおり、現場の資材倉庫は、犯行発覚前又は同発覚当時、日常的に屋根から雨漏りがしており、風雨に吹き曝され、そのため床面には水がたまり、かなり荒れた状況が窺える。おそらく、同倉庫の中は雨の度に濡れたり、その後乾いたりを繰り返し、全般にかなり湿気を含んだ状態であったと推測できる。本件遺留品は、このような状況のなかに約四か月間放置されていたのであり、右遺留品に人の臭いが付着していたとしても、犬による臭気選別ができるほどの臭気が残存していたかどうか疑問である。

前掲<16>で模擬発火物を使った実験選別が実施されている。しかし、その実験の際には、関係証拠によって明らかなように、資材倉庫の入口全体にベニヤ板が張られ、中が風雨に曝されない状態に保たれていたもので、同実験も必ずしも十全ではない。

イ 次に押し込み棒に関して、<8>の選別結果によると、その先端部及び元部それぞれから被告人の臭気が検出されている。関係証拠によると、押し込み棒は事件直後から現場に存在したことは証明されている。しかし、その発見経過は、前認定のとおり、捜査官が、犯行推定時から五か月半経過した一〇月三日発見したものである。しかも、実況見分の結果、角材が積まれた状態で腕を伸ばして時限式発火物を設置することが不可能であることが判明し、資材倉庫入口付近にあった角材に目をつけ、臭気選別を実施したところ、うまい具合に被告人の臭気が検出されたというもので、いささか話ができすぎている。しかも、被告人は右時限式発火物を押し込む際、不用心にも素手であったと考えざるを得ない。他方、右角材のほか現場のいかなる場所からも被告人の指紋等は一切採取されていない。また、被告人が仮に前記押し込み棒に触ったとしても、単時間であったと推察される(特に、先端部は、せいぜい棒の確認と押し込む時、短時間接触しただけと推測される。)のに、選別可能な程度に被告人の臭気が付着していたというのも疑問の残る点である。

ウ 本件発火物の発見者は、前認定のように、当時京都五山の送り火の見物のための観覧席を組み立てていたD並びに同人を手伝っていた長男のEら子供達である。しかも、Dの証言によると、実際にはEら子供達が第一発見者で、右Eが運び出し、中を開けたのも同人であると認められる。Dも触ったかもしれないが、主に同発火物に触ったのはEと認められる。しかし、<9>、<10>の選別結果によると、何故か父親のDの臭気は検出され、息子のEの臭気は検出されていない。これも疑問の残る点である。

エ <5>の臭気選別では、模擬発火物を使ったシミュレーション実験のほか、本選別[4]、[5]で混合臭による実験選別が実施されている。その[5]は、警察官五名がそれぞれ一五分間履いた靴下からの移行臭を原臭とし、うち一名の警察官の靴からの移行臭を対照臭とし、右原臭、対照臭の作成に関係していない四名の警察官の靴からの移行臭を誘惑臭として臭気選別実験を行った結果、マルコは、一回は対照臭を選別しながら、他の四回はすべて不持来で、同臭性ありの結論が出ていない。まさに単純な選別であり、マルコは予備選別を経て、その他の本選別を無難にこなしながら、何故この選別だけこのような結果になるのか疑問である。混合臭の選別が困難であるというなら、臭気選別の多くは、多数の者が触った遺留品の中から、犯人の臭気を嗅ぎ分けるものであり、それは、混合臭の中からの選別である。これもマルコの選別能力に疑問の生じる点である。

(3) 弁護人の本件臭気選別批判の検討結果

<1> 指導手について

本件選別を担当した竹本の警察犬の訓練士及び臭気選別の実施者としての経歴や実績に問題はない。

しかし、竹本は公判廷で、「一般的に警察から臭気選別を依頼された場合、事件の内容を尋ね、臭気の採取、保管又は移行臭の作成方法などの一般的な話くらいはするが、予め何を原臭、対照臭、誘惑臭にするかといった具体的な話はあえてしないことにしている、まして個々の選別時には自分は捜査官が選別台に臭布を配置しているとき、犬とともに選別台に背を向け見ないようにしているので、答えを事前に知り得るはずがない。」旨証言している。関係証拠によれば、竹本は、自らライトマン警察犬訓練所なる看板を掲げ、長年、警察犬の訓練を委嘱され、京都府警の鑑識課員の教育や相談及び京都府警から依頼された事件選別を行ってきており、被告人にとって公平な第三者といえないことはもとより、臭気選別についても捜査官と気楽に話のできる人物である。臭気選別の依頼を受け、その準備段階、実施の際に臭気の内容やそれぞれの臭気選別の目的について聞いたり、臭気選別実施方法について具体的な相談を受けることは当然考えられる。むしろ一切相談がないという方が不自然である。前掲警察官作成の各捜査報告書(選別結果報告書、例えば検五五の写真47、49、検六三の写真24、27、71、検二六四の写真21)並びに押収ずみのビデオの画像等から明らかなように、竹本は各選別の初めに、内容が表示されているビニール袋が置かれている近くに行っており、次にどのような原臭、対照臭、誘惑臭を用いて実験をやるかを知り得る状況にある(竹本は公判廷で、選別開始前に選別台近くに行く場合があることまでは否定しないが、選別内容を確認するためでなく、近くに煙草の吸殻入れがあるため、煙草を吸いに行っているだけである旨証言しているが、その状況から単に煙草を吸うだけの目的とは理解できない。)。

したがって、その実験が持来目的のものか否かも当然知り得る状況にある。ビデオの画像等から明らかなように、各選別において、犬が持来目的の対照臭布をくわえあげた時には、その布を受け取る準備行為として、右手の原臭布を左手に持ち替え、ピンセットの収納行動を採り、その他の場合は犬に原臭を再確認するため収納行動はとらず、原臭を手に持ったまま犬の帰りを待っている。この点に関して、公判廷で、被告人から収納行動に移る時間が早すぎるなどと指摘され、自分は犬の「首の振り方」や「足の運び方」だけで正解か否か判ると証言しているが、その後の証言内容からみてもにわかに信用できない。要するに、竹本は、事前に各選別の目的及び各移行臭の配置について知っている疑いを払拭しきれ

ない。

<2> 選別犬(使役犬)について

マルコ及びペッツオの優れた選別能力については、検察官がるる主張し、その血統や過去の実績に関する多数の証拠も取り調べられている。しかし、竹本の証言によっても、マルコは、各競技会のうち、京都府の大会では、華々しい成績を上げながら全国規模の大会では何故か振るわない。また、ペッツオは、あえて比較すればマルコより選別能力は劣るということである。

被告人・弁護人は、犬の選別能力は、単に選別結果のみで評価されてはならない。臭いに対して選別しているのではなく、「クレバー・ハンス」現象によって「優秀な選別結果」をおさめている危険があり、また犬の誤った訓練方法により、臭気の同一性以外の他の要素で選別する癖が付く可能性があり、選別犬の訓練過程について十分記録にとどめ、その開示が必要である旨主張している。しかし、本件において検察官からその点の主張・立証はほとんどなされていない。したがって、マルコ及びペッツオについては、その選別能力を判断できるだけの証拠が十分であるとはいい難い。弁護人ら指摘の竹本の著書「首輪をつけた捜査官」「犬の訓練百科」などに、対と誘の濃度を変える、対と誘の布に大小の区別を付ける、布を選別台の穴に差し込む強さに差をつける、対に犬の好むフードの臭いを付ける等して訓練していく方法を紹介している。しかし、その後、臭いの質で選別する能力を修得させる訓練過程は、同著書の中にも、発見できない。竹本は公判廷で、殊更「営業上の秘密」として明らかにしない。訓練過程で付いた癖はそのまま習性になる可能性は否定できない。この点でもマルコ及びペッツオの本件選別の信頼性について疑問が残る。加えて、マルコ、ペッツオは、ほとんど生まれたすぐから竹本がわが子のように育てて訓練してきたもので、竹本には極めて懐いている犬であり、竹本だけにしか扱えない犬である。犬の迎合の危険性についても十分考慮する必要がある

<3> 選別方法について

「クレバー・ハンス」現象については、被告人・弁護人が縷々主張するところである。前認定のように本件各選別現場には、選別の目的、持来目的の対照臭の配置場所を知っている府警本部の多数の鑑識課員や警備課員が存在し、犬の選別状況を見守っている。しかも、その中にはカメラやビデオ撮影の者も含まれ、シャッターチャンスを窺っている。記録を取っている榊も勿論各選別の目的、移行臭の配列順序を予め知っている。前記のとおり指導手の竹本も各選別の目的、移行臭の配列順序を予め知っている可能性がある。選別実施現場で多数の関係者が、犬の選別状況を固唾をのんで観察している状況が窺える。このような状況下で客観的且つ公正な臭気選別を行うことは極めて困難である。弁護人は、本件で「クレバー・ハンス」現象を回避する方策が採られていないと主張しているが、当を得たものといわざるを得ない。このことは、選別実施要領自体の問題でもある。さらに、前掲選別状況を撮影した各ビデオを観察すると、すべての選別ではないものの、中には当日の対照臭の配列担当者だけが、半袖のシャツを着たり、対照臭の配列の際殊更丁寧に配置し見た目に大きくみせかけたりしている状況も窺える。

これなども、担当者が選別の目的を理解しているだけに選別結果に影響がないとは言い切れない。次に、前掲選別状況を撮影した多数のビデオを検討すると、鑑識課の補助者が選別台に移行臭を配置している段階で、選別実施要領では竹本と共に背面している筈の犬がしばしば選別台の方に顔を向けている状況が認められる。竹本は公判廷で、「犬が後ろ向きになるのは、指導手が後ろ向きになるから、左側に移り後ろ向きのような形になるだけで、配列を見せないために強いてそうしているわけではない。」「犬が記憶の原則としても、視覚で物を確認するという視的な判断力はない。」「犬が待機中に後ろを向くというのは、犬の癖によって違うが、マルコは非常に警戒心の強い犬なので、後ろの補助者がカタカタ、あるいは足音をジャカジャカという音に対して、警戒の意味で後ろを振り向いているだけで、決して場所を確認しようとか、誰が置いたか覚えようとか、そういったことは一切ありません。」などと証言している。しかし、これが選別実施要領に反していることは明らかであり、競技会では減点の対象になる行為である(弁五五「犬の訓練百科」)。これなどは、選別前に犬を隔離するとか、待機場所と選別台との間に衝立を置くなど方法はいくらでもあるはずである。

被告人・弁護人の批判をかわすのは困難である。

<4> 被告人・弁護人主張の濃度コントラスト論等について

些かこじつけの感もしないではない。しかし、竹本の選別犬の訓練に関する前記著書の内容、また、被告人・弁護人がまとめた別紙「各選別の濃度規定要因の対照表」を参考にし、関係証拠を子細に検討すると、移行臭作成の過程で対と誘の間には明らかな有意の差があり、同主張も無下に排斥し難いものがあるといえる。

(4) 本件臭気選別結果の証拠能力、証明力

そこで、結論として本件臭気選別の証拠能力、証明力について判断する。

被告人・弁護人の主張にもかかわらず、訓練された警察犬が、犯行現場から逃走した犯人等の追跡、検挙(足跡追及)、隠匿されている麻薬、覚せい剤、爆発物の捜索・発見等で一定の成果を発揮し、犬の嗅覚能力が経験的にすぐれたものとして一般に承認されている上、本件選別に従事した指導手は自他共に認める臭気選別の第一人者であり、マルコ及びペッツオは、一応臭気選別の専門的持続的な訓練を経て必要な検査にも合格していること、当時両犬とも体調は良好であったこと、臭気の採取、保管並びに選別自体の実施手順や方法に問題はあるものの、他の裁判で証拠として認められた同種臭気選別と比較して著しい瑕疵があるとはいえず、証拠として最小限度の証明力(自然的関連性)を有し、さらに、警察犬による臭気選別方法は改善すべき点はあるにしても、犯罪捜査、犯罪立証の上で今後とも必要な証拠方法であることなども考慮すると、本件臭気選別結果に証拠能力を認めるのが相当である。

しかし、本件臭気選別については、前認定のような選別犬の訓練過程のデータの不足、引いては臭気選別能力に対する確たる信頼を置けないこと、加えて選別に使用した臭気(原臭)の問題、選別方法に不適切な点もあること及び選別結果の不自然性も考慮すると、選別結果に高度の信用性(証拠の証明力)を付与することはできない。

付言すれば、本件でマルコ、ペッツオが純粋に現場遣留品に残っていた犯人の臭気と被告人の臭気を同定したかどうかには疑問があり、被告人・弁護人指摘の他の要因から被告人の移行臭を選別したか、本件選別結果からみて、捜査官の何らかの作為が入った可能性を否定しきれない。

しかも、以下のような臭気選別に内在する問題もいまだ完全に解決されていない。

<1> 人の体臭が指紋のように千差万別である科学的な根拠がない。

<2> 犬がどのようにして人の体臭を識別しているのか、特に類似した臭気について、どの程度の識別能力があるのか明らかにされていない。

<3> 犬の指導手に対する迎合性

<4> 結果の正確性(犬が臭気が同一であると識別している根拠)についての科学的な検証が不可能であり、追試も著しく困難である

など。

臭気選別結果は、その証拠能力、証明力の判断が極めて困難な証拠である。しかも、捜査機関だけで一方的に作成される証拠だけに、極めて作為の入りやすい証拠でありながら的確な反証の困難な証拠といえる。

そうすると、警察犬による臭気選別方法が現在のような状態にあるかぎり、その結果に余り大きな信頼性を寄せることは抑制的であるのが相当である。その利用も他の証拠による犯人識別の補強的証拠あるいは犯罪捜査だけに限るべきであるとの主張にも考慮すべきものがある。

(5) したがって、本件臭気選別結果も被告人の本件各犯行を証明するに足りない。むしろ、本件ではそれほど重要視できる証拠ではないというべきである。

第八  結語

以上を総合すれば、警察犬による臭気選別によっても、被告人を各犯行の犯人と断定できず、同証拠とそれまで検討した各証拠とを単純にあるいはそれぞれ相補う形で有機的に総合しても、本件各公訴事実は、いずれも証明不十分であるといわざるを得ない。

なお、本件では、冒頭記載のとおり検察官の釈明に沿って、被告人が本件各犯行の実行正犯-単独又は複数で犯行現場に時限式発火物を設置した-かどうかについて検討した結果、その認定はできないと判断したが、被告人が当時置かれていた立場、周囲の情況からして、被告人には各犯行に関与した相当の嫌疑があるというべきである。そこで、被告人には本件各犯行の共謀共同正犯その他の共犯としての犯罪成立の可能性、ひいては裁判所の訴因変更等の釈明義務の要否についても検討したが、同犯罪の成立は明白とはいい難く、なお相当の証拠調べも必要であり、当事者が本件のように攻防を尽くし審理に長期間要した本件事案では裁判所に右のような釈明を促す権限も義務もないと考えた。

結局、本件各公訴事実については、いずれも犯罪の証明がないので、刑訴法三三六条により被告人に無罪の言渡しをすべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 正木勝彦 裁判官 難波 宏)

裁判官 畑口泰成は、転補のため署名捺印できない。

(裁判長裁判官 正木勝彦)

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